生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

騎士団長殺し第一部を読み終わり

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

 ちっとも我慢できずに一気読みしました。だいたい3、4時間ぐらいで読めました。この時間、タイムスリップしたみたいに一瞬だった。ああ、良い読書時間って素晴らしいなあ。

 物語のネタバレはありません。だってまだ全部読んでないしね。だからネタバレを求めてきた人ごめん。

 じゃあ今日はなにを書くのかって、そりゃ物語とはなんたるか、です。イデアとメタファーってサブタイトルにもなっている単語だもの、触れずに語れないよ、きっと。

 本好き芸人さんのアメトーークの記事を読みました。私は又吉さんと光浦さんまったく趣味が合わないなと思いました。カズレーザーさん、若林さんと合う。嬉しいような、嬉しくないような。又吉さんの小説に対する姿勢とか視点は大好きなんだがなあ、なんでそれ読んで面白いと思うんだろうって思うんだよねえ。

top.tsite.jp

 本なんて嗜好品といえば嗜好品。だからどの本が好きであろうと個人の趣味なわけで、でも趣味が似ている人って勝手に親近感もつわけで、応援しようかなとか、ちょっとテレビ見てやるかって思って行動したりして、人間って本当にポジティブで前に向いて生きるようにできてるんだなあと思います。人間って、っていうか「人間の脳」って。

 私は20年ほど前に春樹を読み始めて、苦戦して苦戦して何度もチャレンジしてようやく描いている世界を掴むことができたんだけど、塩鯖ったら一発でできたんだよね。これは日ごろから筋トレしてる脳みその部位の問題か? と思ったけど、ちょっと違うと最近思うようになったのよ。じゃあなにが違うかって、期待度だよ。

 私は小説には「こうであれ」というものを持っていて、だから期待値に達していないものや、的外れなものに対して、すごく理解しようと努めるわけ。なぜこの作者はここでこのシーンを描く必要があったのか、とか、こうした人を登場させる意図は何かとか。

 小説そのものはメタファー(隠喩)である。もっと分かりやすく言えば「嘘話」である、ということが大前提で、そのうえで「なぜその嘘をつく必要があったのか」ということを考えるわけです。そのとき、私の期待値を裏切らない作家(作品単位じゃだめなんだ、一貫性がないと人として信用できないんだ)であってほしいと願っている。その期待度が邪魔をして、私の脳みそを物語が通過するとき、寄り道とか迂回とかいろいろあって、たどり着くのに時間がかかる。

 そんだけのことだった。だから宮沢賢治の読み方を教えてもらった時は、目から鱗ならぬ脳みそから汁みたいな、顎が抜けそうってくらいに愕然とした。

 まぁ、それを知った今でも、私の本を読む意味とは、その中にいる自分に出会うことであり、それはいつだって予想の範囲内ではおさまらないこと。言い換えれば冒険。ここんところは変わってない。より効率的に質の良い冒険をしたくなったくらい(笑・これが本を読まなくなった一番の理由だなあ)

 だいたい春樹の本を読んだらこういうこと考えるねえ、私。

 新刊のこの本は、メタファーの風の中を私の想像力の翼が大いに、意図する方向に、伸ばすだけ伸ばして(むしろまだそれほど伸びたかと自分が驚くほどに伸びて)、思っていた自由よりもまだ先の自由があった、と感じさせてくれる本です。

 あえて似てる作品としたら、海辺のカフカかな。もちろん、春樹の小説に欠かせない象徴のあれこれは(血を流すとか、セックスするとか、扉を通過するとか、巨大なシステムに対して個人ができることとか)出てくるけど、うーん、そうだねえ、人間の欲や、人の成長を描いていない小説ってあるでしょうか。そんなところです。いちいちセックス描写に欲情できるっていいなあと思います。

 というわけで、前編の感想は太字のところです。ちょっと用事がいろいろあるから続きは読めないけど、日々のストレスを忘れて飛び回れるこの世界が手元にある喜び。本当に今の時代に生きててよかったなあ。春樹さんありがとうー!!

すぅ~とぉ~れぇ~すぅ~がぁぁぁぁぁ

 男をダメにするっていう歌あったよね。なんかこう、苛立ってます。女子の日が近いからか、気にくわないニュースが多いからか。

 プレミアムフライデー、ニュースで持ち上げすぎです。何だこのプロバガンダ。プロバガンダって言葉久しぶりに使ったわ。プレミアムな福利厚生を受けられる環境の私たちですよっていう意味かと思った(人間がねじくれている)。

 春樹の新刊出版の様子、きもい。なんでもイベントきもい。一人ではできないことでも集団でならやるって、酔っ払いの集まりみたい。「やっぱり春樹だなと思った」って誰の本を待ちわびて買ったんだよ。

 飲めない人を飲み会に誘うのもめんどい。飲まなくてもいいんですって、って酔っ払いが嫌いなんですって。飲んでるからいろんなハードル下がってると思ったら大間違いだぞ。私はいちいち「ああ、酔うとこういうこと言うんだ。ってことは、心底ではこう思ってるんだ」と思いつつ話を聞くから死ぬほどストレス。タガを外すなら人がいないところですればいいのに。

 自意識過剰病が多すぎてめんどい。マスクが外せないんです、じゃあ外さなくていいんです。引きこもりなんです、出てこなくていいです。そういうこと言うと「強い人だから」って言われるけど、生まれたときからこんなじゃなかった。

 頑固さは損だなと思うことは本当に多いけど、尻軽になんでもいいねいいね言いたくないからFBってなんでやってんのかな、って時々思う。最近ニュースフィード代わりにもならないからやめよ。

 人間の強さは心の狭さと関係しているのかもしれないなって思う。それは強さじゃないよ(だって映画で言ってた)みたいな声がきこてきそうだけど、おおむね他人に興味がないから、可も不可もなくって(=許容しているってこと)、うん、ただ率先して関係ない興味ない問題に頭を突っ込みたくないだけなんだな。




 すごい、すごい自分。なにもかもが、こんなふうに穿って耳に届く。こういう日もあるんだなと思うけど、なんだかもうイライラしてていやだなあ。

 最近、突発的な、本当に予想だにしていなかったいろいろに出くわして「ひいいいい」ってなってる人が多い。私はというと、まるでそういうのなくて(勘が鈍いからかもしれないけど)、ただただイライラしている。

 一触即発のほうが不可抗力だって思えるから楽かもしれない。ニュース消そう。FB閉じよう。ああ、めんどくさい。

グループの由来

「生きることは物語を作ること、それは哲学すること」をおっぱじめたのは私です。こんばんは。

非常に今更だけど、このブログのどこかに書いてそうだけど、ブログの記事のトップに厚かましく宣伝貼ってるので書いておこうかと思いまして。

お馴染みさんには「もー、今更?」か「えぇー、またそれ?」だろうけどね。いっつも同じこと言ってんの私は。

生きるとは、自分の物語をつくること (新潮文庫)

生きるとは、自分の物語をつくること (新潮文庫)

ユングさんとか河合隼雄さんとか、すごい人たちの言葉をつなぎ合わせて「こういうことが言いたいんだ」って書いたとして、それは私の言葉じゃないから違うんだよね。どんだけ稚拙でも私は私の言葉を使っていきたい。だからアマゾンリンクだけ貼ってスルーする。

私はずっと人はなぜ物語(小説・寓話・神話)を求めているのかなあと思ってた。自分自身、小さなころから本を読むのが当たり前できてたから、なぜかなんて考えたことがなかった。知恵がついてからは「無知は罪だ」とかいいつつ、読んでた。自分の欲求の根本は完全無視してね。なんて恥ずかしい青年時代。

今の段階で私が「そうじゃないかな」と、確信は持てないもののぼんやりと感じているのは、人は物語で癒されるから求めるんだろうな、ってことです。

物語が人を癒すなんて面倒くさいし難しいよね。それって疑似体験で満たしているってこと? とか思うよね。たぶんそれも入るんだわ、本を読むってことは。でももっともっと、脳みその中身のことだと思うんだよねえ。

神話って、簡単に説明するとあり得ないお家騒動ですよね。でも今なお読まれ続けています。全部に教訓があるわけじゃないし、為になる話してるわけじゃない。不思議だなあと思ってました。

あるとき、私は無理してガルシア・マルケスを読みました。背伸びをする時期って言うのは、いくつになってもあるもんだと思います。そんな無理めな読書の最中、突然「おおお! そういうことか!」とたどり着きました。それはね、この中のどこかに自分がいるってことです。

私は、人が物語を欲するのは、物語の中の自分に出会うためだと思いました。

物語の中の自分を見つけて追体験することは、あるときは自分を鼓舞することだったり、またあるときは慈悲を向けて慰ることなんだろうと。自分で自分を補完する作業をしていること、それが物語を必要としている理由の一つだと思ったんです。

あと、絶対に人は人生という物語を描きながら生きている。何かを見て感動することも、誰かと出会って揺れることも、一人で自分だけの言葉で、自分だけの気持ちを温めることも、すべて自分の物語を自分で作って、自分を補完しつつ不完全ながら何とか生きているんだと思うんです。

人によっては誰かの存在がなければ補完できないと感じているかもしれない、人によっては何かに接していないと補完できないと感じているかもしれない。あるいは、一人でこそできると思っている人もいるかもしれない。そんなことに優劣はなくって、人は生まれてきた以上生きる欲求がある、そのことが「物語を作ること」なんだろうと思ってます。

だからこのグループ名。漂うことが好き(結論を出すのが嫌い)とか、結論を出さねば意味がないとか、いろいろやり方はあるだろうけど、絶対に否定してほしくないのは「生まれてきた以上生きる欲求がある」ということです。

自殺は簡単にできると思う。誰かが、家族が悲しむから、っていうのは体のいい言い訳。本当は悲しませたくない自分がいるはず。すべて自分で責任を負うことが、生まれてきた意味、生きる意味だと思う。なので、TNKISMもこのグループも、そうじゃない人はこなくていいって思ってます。

生まれてきたのは自分の意志じゃないもん、と思うかもしれない。誰だってそうだよ。でもどうせ死んじゃうんだよ。じゃあ、いつまでもスタート地点に文句言ってないで、先に進もう。



一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

ちなみに私が挫折して、塩鯖が読んだこの大作。塩鯖が「面白くない」という本を初めて見ました。私がもう一度この本を手にすることがあるのだろうか。

土曜日に、春樹の新作が届きます。