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来月の予定

 来月の予定を着々と埋めています。おはようございます。今日は本を買い取ってもらうため、集配のお兄さんを待ってるところ。

 来月はもう4月で、桜が咲いているだろう。早いなあ、本当に春が来るんだ。

 で、来月の予定。まず、先日もう邪魔した哲学カフェ。写真とかでないけど、なかなかときめくお題でしょう。李下に冠を正さずってばっさり斬ってる私ですが、いろんな迷いとか考察が聞けるのをとても楽しみにしていますのよ。

哲学カフェ尾道 第6回 【「疑わしきは罰せず」は、可能か?】

 で、その前に読書会。初めての! 読書会!! ひゃっほー!!!! 課題図書は「博士の愛した数式」です。文庫も単行本もあるぜ、いつでも読めるぜ。っていうか、最後に読んだのは買った当初と、言葉の誕生を科学するなどなど、参考文献を読んだ時ぐらいだわ。読まなきゃ。

dkfp.org

言葉の誕生を科学する (河出ブックス)
小川 洋子 岡ノ谷 一夫
河出書房新社
売り上げランキング: 620,228

 初めてなので、すっごく様子伺いばっかりになりそうです。でも、本が好きな人と出会えることが、何よりうれしい。

 昨日ツイッターで教えてもらった、価値観の対話場というサイトを今から見てきます。これあるならTNKISMいらないじゃ~ん、とか思ったけど、今春閉鎖するそうです。さっそく登録。ラストランを走り切るぜ。

synclon3.com

 まぁ、あれですよ、TNKISMは私(個人)が管理しているという点で、良くも悪くも「個人を大切にする」ことをモットーに楽しく談義しましょうよ、という場所なので、違うものにしていこうと思っていますけれども。哲学カフェってぼちぼちやってるみたいですね。なにもアカデミックな人たちだけでやるもんじゃないだろうって思うし、毎回が有益で結論がしっかりと出るわけじゃないんだなっていうのは、前回の哲学カフェに参加したとき思いました。

 なんていうかな、本当に場によってメンバーによって全然違うんじゃないかな。理想を語りたい人、現実を語りたい人、新しさを求める人、求めない人、そういう人たちのバランスや声にした意見によって、空気が変わってくるもので、同じメンバーでも同じテーマでも、必ず同じ空気になるわけじゃないって言うのが面白さなんだろうなって。

 でも私がしようとしているのはインターネットという場です。今のネットは多くの人が参加しているようでありながら、やっぱり傍観者は多いと思う。すごくすごく多いと思う。だから発言者の数って限られている。そのため、似通った空気になりがちだなあっていうのが、勝手な所感です。で、私はもっと開けた場にしたい。保守的で変化を嫌う傾向が強い私だけどさ、そうも言ってらんないじゃん、個人がもっと個人の責任を感じていこうよって思うんです。

 さて、いろいろ言いましたけど、今日は日曜日。休日を有効に使わないとこういうの終わらないんだよ。頑張ろう。春樹の新作も待ってるけど頑張ろう。

いや、頭の体操っていうかさぁ

tnkism.com

なんかもっとガチな感じになったけど。

嫉妬も欲望の一つだと思えば、そっか、しょうがないかって思いますよね。

でもな、あんまり嫉妬しなくなってるんだ、全体的に。もっとぼんやりした何かになってるんだ。老眼の進み具合と同じ感じで、感情の老化が進んでるのかねえ……。まだ39歳だが。

普通に仕事に行った今日、ミサイルが発射されたのを知ったのは車を降りる直前で、それ以降のことは知らず。17時過ぎに車のテレビが国会中継やってて、なんで伸びてんだと思ったらその対応がどうとかっておばさんが言ってました。厭味ったらしく暗に表現するのよせ。8時間労働してた私には分からないじゃないか。

まぁ、ざっくりとニュースを聞いていて思ったのは、私、愛国心強くなってきたなあってこと。基本的に共産主義思想であることには違いないんだけどね、でもやっぱうちの国にミサイル打ってくるとか、うちの経済水域で魚とってるとか(イカでも一緒だ)、間違ってるだろうって思った。ルールを守れ。そう、ルールを守れ、だ。

そもそも、時間を守らない人を信用しない狭量な私。いろんな角度から考えても許せるわけがないです。

TNKISMの稼働中テーマのお知らせ

ニュースから拾ったテーマを談義する
「乙武洋匡:自分をようやく理解してもらえた」について談義する。

乙武洋匡「自分をようやく理解してもらえた」(東洋経済オンライン) - Yahoo!ニュース

哲学カフェからのテーマ
「もう日本って限界なの?」について談義する。

日本の借金はもう限界
限界集落
限界まで消耗しないと「がんばった」って認められない日本社会
日本の教育の限界を感じる

「嫉妬とは何か」について談義する。

ある高野山大阿闍梨が、断食を何日も繰り返し煩悩を断つ(向き合う)修行の果てに、どうしても断つことが出来ない欲望にたどり着いたそうです。それは食欲や性欲、睡眠欲などの生理的な欲求ではなく『嫉妬心』でした。他の高僧に対する世間の評価がどうしても許せなかったそうです。


タモリさんの「戦争が無くならない理由」を談義する。

『LOVE&PEACE』という言葉があるけど、LOVEさえなければ、PEACEなんだよ。その生き方は、かぎりなく動物や植物の世界に近いな。ただ、『好き』がない世界というのも、ツマラナイだろう? 難しい問題だよ、これは。どうしたもんかね?

※ほかの哲学カフェからテーマをお借りした場合、リンク先にどちらの哲学カフェからお借りしたのかリンクしています。先人たちは素晴らしい。

私が書いていないのは、私のサイドジョブが忙しいからであります。ああ、先陣切って無駄に語りつくしたい。

純文学って難しいんだろうか?

 適当に宣伝と、適当なぶつくさです。こんばんは。

 TNKISMは哲学カフェのテーマをお借りすることにしました。お借りしたテーマ2点、思いついたテーマ1点でお待ちしております。もちろん私も語るぜ、そのうち。

tnkism.com




 さて、純文学だよ。

 会社の隣の席の女の子が本好きで、だけど純文学はよく分からないというので春樹の1Q84を貸したのね。いきなり長編ですけど、たぶん一番読みやすいんだよ。下手に短編貸すほうが「なにこれ?」になる可能性大だと思う、村上春樹

 私は村上春樹に限らず「純文学」が好きですが、純文学が何かって言うのはわかりません。ボーダーがないところだと思ってます。だからあなたが東野圭吾に純文学性を認めるのであれば、それは純文学だと思う。私にとっては違うだけ。

 隣の席の子は、何をテーマに読んでいいか分からないのが苦手だ、と言いました。だから1Q84もミステリ的に読み進めていて、リトルピープルや空気さなぎが解明されるとどこかで信じていたようで、否定はしないが肯定もしない私の姿勢に、多少やきもきしたようです。テレビピープルと一緒だと思ってるわ、ぐらいしか言えないってそんなの。

 目的を持った読書、というと私の場合専門書になります。っていうとぎゃふんという顔をするので面白かったですが、なにかな、この違和感。

 私の中の純文学は、人類(あるいは個人)の大きなテーマに対して、改めて気づくような本質的な部分を刺激するもので、喜怒哀楽や妬み嫉妬、歓喜、悲哀などひとつの感情を大げさに描くのはちょっと違うな、と思ってます。とことんまでやると面白くなるけどね、ドン・キホーテみたいなね(やっぱり古典かよ)。

 なので、私の勧める本はどうにもいただけないものが多かったようです。っていうか、1Q84博士の愛した数式しか読んでくれませんでした。残念。

 私の好みの本はハードルが高いと言われましたが、決してそんなことはなく、なんでも読める人が一番すごいと思います。すぐに断念しちゃう私。きっと永遠に読めない1984

 私は想像の世界での自由がほしいんだよね。想像力は無限大とか言うけど、自分一人だと限界があるんだ。特にもう立派な大人になっちゃったわけだしさ。大人になって何が悲しいって、合理的すぎて遊びがなくなったってことなんだよ(大人になってもそれを持ち合わせている人もいる)。シナプスがいつもの回路を通っていつもの場所に繋がっちゃうわけよ。全然自由じゃない。その窮屈さをパーンと壊してくれるのが、想像力を駆使する読書、映画、芸術、なのよね。

 というわけで、純文学は「だからハードルが高い」ということはない、と思います。



 こういう、くだらないことをぐだぐだ考えているとき、SNSで「私だけだと思っていた!(けど違ったみたい。だからシェアするわ!)」的なものに絶対ひかっからないだろうなって思う。たぶん私だけがぐじぐじと、ぐだぐだと考えているんだわ。そう考えたら、なんだかシリウスの向こうの冷たいきらめきみたいな気がして、悪くないかなって思った。ブレようにもブレないんだもん。メンドクサイ自分。

ホッとしたわ…

哲学カフェのテーマどうしようって考えてて、全然気が利いたの思い浮かばなく、ついに哲学カフェを開催してる方々にメールしまくったの、私。

 

お返事が、きた!!!

 

やっほーい!! これでテーマを得たぞ!

これからジワリジワリとやりますよ。ディスカッション形式です。むふ。

 

喧嘩しないよーにしようね。

騎士団長殺し第一部を読み終わり

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

 ちっとも我慢できずに一気読みしました。だいたい3、4時間ぐらいで読めました。この時間、タイムスリップしたみたいに一瞬だった。ああ、良い読書時間って素晴らしいなあ。

 物語のネタバレはありません。だってまだ全部読んでないしね。だからネタバレを求めてきた人ごめん。

 じゃあ今日はなにを書くのかって、そりゃ物語とはなんたるか、です。イデアとメタファーってサブタイトルにもなっている単語だもの、触れずに語れないよ、きっと。

 本好き芸人さんのアメトーークの記事を読みました。私は又吉さんと光浦さんまったく趣味が合わないなと思いました。カズレーザーさん、若林さんと合う。嬉しいような、嬉しくないような。又吉さんの小説に対する姿勢とか視点は大好きなんだがなあ、なんでそれ読んで面白いと思うんだろうって思うんだよねえ。

top.tsite.jp

 本なんて嗜好品といえば嗜好品。だからどの本が好きであろうと個人の趣味なわけで、でも趣味が似ている人って勝手に親近感もつわけで、応援しようかなとか、ちょっとテレビ見てやるかって思って行動したりして、人間って本当にポジティブで前に向いて生きるようにできてるんだなあと思います。人間って、っていうか「人間の脳」って。

 私は20年ほど前に春樹を読み始めて、苦戦して苦戦して何度もチャレンジしてようやく描いている世界を掴むことができたんだけど、塩鯖ったら一発でできたんだよね。これは日ごろから筋トレしてる脳みその部位の問題か? と思ったけど、ちょっと違うと最近思うようになったのよ。じゃあなにが違うかって、期待度だよ。

 私は小説には「こうであれ」というものを持っていて、だから期待値に達していないものや、的外れなものに対して、すごく理解しようと努めるわけ。なぜこの作者はここでこのシーンを描く必要があったのか、とか、こうした人を登場させる意図は何かとか。

 小説そのものはメタファー(隠喩)である。もっと分かりやすく言えば「嘘話」である、ということが大前提で、そのうえで「なぜその嘘をつく必要があったのか」ということを考えるわけです。そのとき、私の期待値を裏切らない作家(作品単位じゃだめなんだ、一貫性がないと人として信用できないんだ)であってほしいと願っている。その期待度が邪魔をして、私の脳みそを物語が通過するとき、寄り道とか迂回とかいろいろあって、たどり着くのに時間がかかる。

 そんだけのことだった。だから宮沢賢治の読み方を教えてもらった時は、目から鱗ならぬ脳みそから汁みたいな、顎が抜けそうってくらいに愕然とした。

 まぁ、それを知った今でも、私の本を読む意味とは、その中にいる自分に出会うことであり、それはいつだって予想の範囲内ではおさまらないこと。言い換えれば冒険。ここんところは変わってない。より効率的に質の良い冒険をしたくなったくらい(笑・これが本を読まなくなった一番の理由だなあ)

 だいたい春樹の本を読んだらこういうこと考えるねえ、私。

 新刊のこの本は、メタファーの風の中を私の想像力の翼が大いに、意図する方向に、伸ばすだけ伸ばして(むしろまだそれほど伸びたかと自分が驚くほどに伸びて)、思っていた自由よりもまだ先の自由があった、と感じさせてくれる本です。

 あえて似てる作品としたら、海辺のカフカかな。もちろん、春樹の小説に欠かせない象徴のあれこれは(血を流すとか、セックスするとか、扉を通過するとか、巨大なシステムに対して個人ができることとか)出てくるけど、うーん、そうだねえ、人間の欲や、人の成長を描いていない小説ってあるでしょうか。そんなところです。いちいちセックス描写に欲情できるっていいなあと思います。

 というわけで、前編の感想は太字のところです。ちょっと用事がいろいろあるから続きは読めないけど、日々のストレスを忘れて飛び回れるこの世界が手元にある喜び。本当に今の時代に生きててよかったなあ。春樹さんありがとうー!!

すぅ~とぉ~れぇ~すぅ~がぁぁぁぁぁ

 男をダメにするっていう歌あったよね。なんかこう、苛立ってます。女子の日が近いからか、気にくわないニュースが多いからか。

 プレミアムフライデー、ニュースで持ち上げすぎです。何だこのプロバガンダ。プロバガンダって言葉久しぶりに使ったわ。プレミアムな福利厚生を受けられる環境の私たちですよっていう意味かと思った(人間がねじくれている)。

 春樹の新刊出版の様子、きもい。なんでもイベントきもい。一人ではできないことでも集団でならやるって、酔っ払いの集まりみたい。「やっぱり春樹だなと思った」って誰の本を待ちわびて買ったんだよ。

 飲めない人を飲み会に誘うのもめんどい。飲まなくてもいいんですって、って酔っ払いが嫌いなんですって。飲んでるからいろんなハードル下がってると思ったら大間違いだぞ。私はいちいち「ああ、酔うとこういうこと言うんだ。ってことは、心底ではこう思ってるんだ」と思いつつ話を聞くから死ぬほどストレス。タガを外すなら人がいないところですればいいのに。

 自意識過剰病が多すぎてめんどい。マスクが外せないんです、じゃあ外さなくていいんです。引きこもりなんです、出てこなくていいです。そういうこと言うと「強い人だから」って言われるけど、生まれたときからこんなじゃなかった。

 頑固さは損だなと思うことは本当に多いけど、尻軽になんでもいいねいいね言いたくないからFBってなんでやってんのかな、って時々思う。最近ニュースフィード代わりにもならないからやめよ。

 人間の強さは心の狭さと関係しているのかもしれないなって思う。それは強さじゃないよ(だって映画で言ってた)みたいな声がきこてきそうだけど、おおむね他人に興味がないから、可も不可もなくって(=許容しているってこと)、うん、ただ率先して関係ない興味ない問題に頭を突っ込みたくないだけなんだな。




 すごい、すごい自分。なにもかもが、こんなふうに穿って耳に届く。こういう日もあるんだなと思うけど、なんだかもうイライラしてていやだなあ。

 最近、突発的な、本当に予想だにしていなかったいろいろに出くわして「ひいいいい」ってなってる人が多い。私はというと、まるでそういうのなくて(勘が鈍いからかもしれないけど)、ただただイライラしている。

 一触即発のほうが不可抗力だって思えるから楽かもしれない。ニュース消そう。FB閉じよう。ああ、めんどくさい。

グループの由来

「生きることは物語を作ること、それは哲学すること」をおっぱじめたのは私です。こんばんは。

非常に今更だけど、このブログのどこかに書いてそうだけど、ブログの記事のトップに厚かましく宣伝貼ってるので書いておこうかと思いまして。

お馴染みさんには「もー、今更?」か「えぇー、またそれ?」だろうけどね。いっつも同じこと言ってんの私は。

生きるとは、自分の物語をつくること (新潮文庫)

生きるとは、自分の物語をつくること (新潮文庫)

ユングさんとか河合隼雄さんとか、すごい人たちの言葉をつなぎ合わせて「こういうことが言いたいんだ」って書いたとして、それは私の言葉じゃないから違うんだよね。どんだけ稚拙でも私は私の言葉を使っていきたい。だからアマゾンリンクだけ貼ってスルーする。

私はずっと人はなぜ物語(小説・寓話・神話)を求めているのかなあと思ってた。自分自身、小さなころから本を読むのが当たり前できてたから、なぜかなんて考えたことがなかった。知恵がついてからは「無知は罪だ」とかいいつつ、読んでた。自分の欲求の根本は完全無視してね。なんて恥ずかしい青年時代。

今の段階で私が「そうじゃないかな」と、確信は持てないもののぼんやりと感じているのは、人は物語で癒されるから求めるんだろうな、ってことです。

物語が人を癒すなんて面倒くさいし難しいよね。それって疑似体験で満たしているってこと? とか思うよね。たぶんそれも入るんだわ、本を読むってことは。でももっともっと、脳みその中身のことだと思うんだよねえ。

神話って、簡単に説明するとあり得ないお家騒動ですよね。でも今なお読まれ続けています。全部に教訓があるわけじゃないし、為になる話してるわけじゃない。不思議だなあと思ってました。

あるとき、私は無理してガルシア・マルケスを読みました。背伸びをする時期って言うのは、いくつになってもあるもんだと思います。そんな無理めな読書の最中、突然「おおお! そういうことか!」とたどり着きました。それはね、この中のどこかに自分がいるってことです。

私は、人が物語を欲するのは、物語の中の自分に出会うためだと思いました。

物語の中の自分を見つけて追体験することは、あるときは自分を鼓舞することだったり、またあるときは慈悲を向けて慰ることなんだろうと。自分で自分を補完する作業をしていること、それが物語を必要としている理由の一つだと思ったんです。

あと、絶対に人は人生という物語を描きながら生きている。何かを見て感動することも、誰かと出会って揺れることも、一人で自分だけの言葉で、自分だけの気持ちを温めることも、すべて自分の物語を自分で作って、自分を補完しつつ不完全ながら何とか生きているんだと思うんです。

人によっては誰かの存在がなければ補完できないと感じているかもしれない、人によっては何かに接していないと補完できないと感じているかもしれない。あるいは、一人でこそできると思っている人もいるかもしれない。そんなことに優劣はなくって、人は生まれてきた以上生きる欲求がある、そのことが「物語を作ること」なんだろうと思ってます。

だからこのグループ名。漂うことが好き(結論を出すのが嫌い)とか、結論を出さねば意味がないとか、いろいろやり方はあるだろうけど、絶対に否定してほしくないのは「生まれてきた以上生きる欲求がある」ということです。

自殺は簡単にできると思う。誰かが、家族が悲しむから、っていうのは体のいい言い訳。本当は悲しませたくない自分がいるはず。すべて自分で責任を負うことが、生まれてきた意味、生きる意味だと思う。なので、TNKISMもこのグループも、そうじゃない人はこなくていいって思ってます。

生まれてきたのは自分の意志じゃないもん、と思うかもしれない。誰だってそうだよ。でもどうせ死んじゃうんだよ。じゃあ、いつまでもスタート地点に文句言ってないで、先に進もう。



一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

ちなみに私が挫折して、塩鯖が読んだこの大作。塩鯖が「面白くない」という本を初めて見ました。私がもう一度この本を手にすることがあるのだろうか。

土曜日に、春樹の新作が届きます。

哲学カフェに行ってきた話

 相変わらず、意味の分からないアクセスが来ていますね。なんですかiPhoneでここをしこたま見ているあなた!! そんなおもろいこと書いてないだろうが!! 陰でひっそり、誰の受けも狙わないものをせっせと書くのが楽しいのです。ちなみにここ、月間1000アクセスですってよ。もうね、主に一人の人だから怖いよね。

 あ、そうそう、先日3%と91Daysを見終わって、そろそろヒンターランドも見終わるんですよ。ブラックミラーは最新ものまでは見終わっている。こんなだから、海外ドラマ専用のブログでもやろうかと思ったりはしてました。広く浅く網羅するサイトじゃないっていうのがポイントです。

 さて、先日哲学カフェに行ってきました。尾道で開催されたものです。美味しいコーヒーを出してくれるカフェで哲学談義。12名の人が集まりました。

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 今回は初めましての方も多かったそうですが、何を隠そう私も初めましてでした。だから膝がガクガク笑ってました。すみません、小心者なんです。

 テーマは「私たち人類は、進歩しているのか?」というものでした。私の答えはもう出しているんだけど、答えを出すとか出さないとかじゃなくて、私としてはいろんな人がどんなことを考えたのかを聞く場、として楽しみでした。だってそんなこと日常で考えないじゃん。進歩だろうと退化だろうと、生きてるものは生きてるんだし。

 ちなみに、私のテーマに対する考えはこんな感じ。

私は、神的視点から考えると、退化する部分もあるだろうと思っています。このまま人間は進歩を続けていくと、どんどん卵に戻っていくような、2001年宇宙の旅スターチャイルド的なものになるんだと信じています。退化なのか進歩なのかわかんない。だけど、私個人としては常に進歩し続けていると思うし、そうであると思いたい。

端的な言葉で表現すると、「今日の私より明日の私のほうが優れていると思いたい」ということです。なんかダサくてかっこ悪い(笑)でも事実こう思って毎日過ごしています。

昨日できたことが今日はできなくなるかもしれない。だけど昨日の私ができなかったことを、今日の私はやってる、みたいなね。そういうものの積み重ねで、人生はスパイラル状に上ってゆき、私が死ぬときには、生まれたときの私ではなくなっている、同時に生まれたときの私に戻っている。精神的な死とは、「私」という人生を「打ち立てる」ことでであってほしいな、と思っています。

「進歩は良いことか?」ということについては、私は基本的に良し悪しを判断しない(好き嫌いは当然判断するけど)ようにしているので、いいも悪いもないんじゃないか? って思います。誰かにとって良いものは、誰かにとって悪いものだってこと、往々にしてあることだしね。自分が心配することは、自分の両手の範囲だけって決めてますから。

 哲学カフェそのものはとても有意義な時間だったし、面白かったし、興味深いものでした。進行役の女性はとても賢いんでしょうね。話を聞きながら、まとめて、疑問や矛盾は良いタイミングで指摘する。それがあるから混乱せず、また混戦せずに会話が進んでいくんだもの。

 いるだろうなーと思ってたら、やっぱりいたー!! というタイプの意見もあり。自分の問題を人類の問題に置き換えるタイプの言い方をする人ね。それ自体は非難も否定もしないんだけど、問題を本気で解決する気はないんだろうなあって思う。だってすっごいバカでかい問題にしちゃって「どうしようもないねえ」的なところに落とすのってそういうことじゃない? 

 私は人ひとりが抱えられるだけの問題を抱えていけばいいと思っているし、人類の為に憂えたり行動を起こしたりする人がいたとしても、地球の半分を、いや1/4でも一国でもいいわ、「よいしょ」と動かせるわけじゃないだろう? じゃあ自分のできることをできる範囲でできる限りやるのが誠実ってもんじゃないか? って思ってますんでね。

 総じて「より良くするための行動を進歩と呼ぶ」という意識のもとでやってたと思うんだけど、その「より良い」の多くが「争いのない世界」を指していたことにも驚き。そんなもん出来ると思ってんのか(いや、相当難しいという認識はみんなある)。私はけっこう雑なので、オリンピック選手が「金メダルとりたい!」と思うことと、テロリストが「あの国には負けたくない!」と思うのとの、エネルギーの違いなんて分からんので一緒にするんです。エネルギーの発散の方向ややり方が違うだけで、エネルギーそのものは一緒でしょ。

 闘争というエネルギーが殺人という罪を犯す可能性があるからエネルギーを淘汰しようとしているようで、気持ち悪いなあと思いました。そんな性欲も物欲もない干からびた世界なら私は生きる意味が見つからないね。あるいはスターチャイルドにさっさとなっちまいたいね。

 結論としては結構理想論を語る人が多いんだなあと思いましたね。私みたいにダダ漏れな人はいなくって、争いのない世界のための理想的な人類の進歩を望んでいるような(いや、私だって一応そういう理想はあるけど、現実にできもしないことを語るだけなんて欲求不満になる(笑))。

 そして技術の進歩を忌み嫌う傾向があるんだなって思いました。まぁ、原子力発電所がああなっちゃうとねえ。でも、だからって原子力エネルギーなんてなければよかった、とは思わない、私。あの莫大なエネルギーをコントロールするために人間としての自制心や危機管理能力や平和の意識などなど、理想的な人間が持っているすべてを習得する努力をする必要があるんじゃないのって思ったくらい。

 ある人が「昔の人は火おこしができたけど、自分はできない。退化している」といったけど、代わりにマッチやライターやチャッカマンがあるじゃあないですか。文明が生んだ道具はそれまでの人たちの苦労から生まれた知恵の塊だから、使わない方法を称賛するのは、使う側のメランコリックってやつだよ。

 とてもとても、超否定的なことばかり書いてますけど(すみません、全然嫌いじゃないし、むしろ考えるきっかけをくれてありがとうと思ってる。性格が悪いだけです)、あの場や時間はすごく有意義で、本当に楽しかったです。

 次は「疑わしきは罰せず、は可能か?」です。私は「疑わしきは罰するにすればいい」と思ってます。李下に冠を正さずだよ。あらんことで疑いをかけられたら、甘んじて罰を受けますとも。それが平等ってものです。

函館最終日

かなり遅ればせの函館最終日。こんばんは。

函館から帰って一週間、バタバタしっぱなしで経過しています。なにに忙しいのかよくわからない二人。

さて、函館国際ホテルの朝ごはん。


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私はラビスタ函館ベイより国際ホテル推しです。美味いなー、もー、北海道美味いなー。すし飯があるとはテレビで見てたが、すし飯がこんなにありがたいとは! そして芋が丸たまだ!! 

実際、朝食のみなら大差はないです。あとは好みの問題かなー。

この日は早々にバスで函館空港に移動したので朝ごはん少な目です。悔しい。

この日、明け方に雨が降っていたけど、珍しいほど日本が暖かかった日でした。だから雪も溶けてるところがあったくらい。天気は昼から大荒れになるらしかったので、ギリギリセーフ。

実際飛行機はかなり揺れました。

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こんな空色だったね。去りゆくとき、T2の名台詞を残してゆきたくなったが年齢バレるわ。でもまた必ず行くからね。

羽田空港では気温15度。尋常じゃない暑さ。暑すぎて私は蕎麦を食う(そして後悔する。身体が出汁を欲していたのに、暑くてぶっかけにしたから塩辛い)。

乗り継ぎは順調にいって午後早い時間に高松空港に到着。こちらも暑い。長靴がとてもとても浮いている。

帰宅後、土産の整理をするがお互い会社の分だけなのですぐ終わる。

あとはひたすら写真の整理。ちなみにまだ終わってません。

帰りの飛行機で塩鯖が窓に張り付いていたのが可愛かったです。一生懸命なのよね。おばさん窓側変わってあげて良かったって思ったもの。

 

今回、自分ち用に買ったお土産は六花亭のバターサンドとメロンチョコ、あとなんかお菓子…食べたら忘れた。あとは鮭とばラッキーピエロガラナと缶コーヒー、カレー2種。メロンゼリーもあったな。なんだかんだと多いですね。

 

お陰様で体重が確変モードに突入してます。後戻りしないとヤバイ。とてもヤバイ。しかし会社でもバラまいたチョコがちびちび戻ってきてダウンの予兆なし。

そろそろ真面目にダイエットします。

しかし函館素晴らしかったわ。次は十勝、網走、稚内に行きたい。豪雪地帯にも行きたい。果てしなく雪に憧れる雪なし県です。

 


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帰宅してしばらくうどん食ってないってことで、うどん食べました。ここの天ぷらやっぱり最高。


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あと、骨付鳥もね。

食べ納めてからダイエットって一番大変なのかもしんないね。やれやれ、どうしたものかな。

 

一月は美味しい三昧でした。

おしまい。