生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

来月の予定

 来月の予定を着々と埋めています。おはようございます。今日は本を買い取ってもらうため、集配のお兄さんを待ってるところ。

 来月はもう4月で、桜が咲いているだろう。早いなあ、本当に春が来るんだ。

 で、来月の予定。まず、先日もう邪魔した哲学カフェ。写真とかでないけど、なかなかときめくお題でしょう。李下に冠を正さずってばっさり斬ってる私ですが、いろんな迷いとか考察が聞けるのをとても楽しみにしていますのよ。

哲学カフェ尾道 第6回 【「疑わしきは罰せず」は、可能か?】

 で、その前に読書会。初めての! 読書会!! ひゃっほー!!!! 課題図書は「博士の愛した数式」です。文庫も単行本もあるぜ、いつでも読めるぜ。っていうか、最後に読んだのは買った当初と、言葉の誕生を科学するなどなど、参考文献を読んだ時ぐらいだわ。読まなきゃ。

dkfp.org

言葉の誕生を科学する (河出ブックス)
小川 洋子 岡ノ谷 一夫
河出書房新社
売り上げランキング: 620,228

 初めてなので、すっごく様子伺いばっかりになりそうです。でも、本が好きな人と出会えることが、何よりうれしい。

 昨日ツイッターで教えてもらった、価値観の対話場というサイトを今から見てきます。これあるならTNKISMいらないじゃ~ん、とか思ったけど、今春閉鎖するそうです。さっそく登録。ラストランを走り切るぜ。

synclon3.com

 まぁ、あれですよ、TNKISMは私(個人)が管理しているという点で、良くも悪くも「個人を大切にする」ことをモットーに楽しく談義しましょうよ、という場所なので、違うものにしていこうと思っていますけれども。哲学カフェってぼちぼちやってるみたいですね。なにもアカデミックな人たちだけでやるもんじゃないだろうって思うし、毎回が有益で結論がしっかりと出るわけじゃないんだなっていうのは、前回の哲学カフェに参加したとき思いました。

 なんていうかな、本当に場によってメンバーによって全然違うんじゃないかな。理想を語りたい人、現実を語りたい人、新しさを求める人、求めない人、そういう人たちのバランスや声にした意見によって、空気が変わってくるもので、同じメンバーでも同じテーマでも、必ず同じ空気になるわけじゃないって言うのが面白さなんだろうなって。

 でも私がしようとしているのはインターネットという場です。今のネットは多くの人が参加しているようでありながら、やっぱり傍観者は多いと思う。すごくすごく多いと思う。だから発言者の数って限られている。そのため、似通った空気になりがちだなあっていうのが、勝手な所感です。で、私はもっと開けた場にしたい。保守的で変化を嫌う傾向が強い私だけどさ、そうも言ってらんないじゃん、個人がもっと個人の責任を感じていこうよって思うんです。

 さて、いろいろ言いましたけど、今日は日曜日。休日を有効に使わないとこういうの終わらないんだよ。頑張ろう。春樹の新作も待ってるけど頑張ろう。

いや、頭の体操っていうかさぁ

tnkism.com

なんかもっとガチな感じになったけど。

嫉妬も欲望の一つだと思えば、そっか、しょうがないかって思いますよね。

でもな、あんまり嫉妬しなくなってるんだ、全体的に。もっとぼんやりした何かになってるんだ。老眼の進み具合と同じ感じで、感情の老化が進んでるのかねえ……。まだ39歳だが。

普通に仕事に行った今日、ミサイルが発射されたのを知ったのは車を降りる直前で、それ以降のことは知らず。17時過ぎに車のテレビが国会中継やってて、なんで伸びてんだと思ったらその対応がどうとかっておばさんが言ってました。厭味ったらしく暗に表現するのよせ。8時間労働してた私には分からないじゃないか。

まぁ、ざっくりとニュースを聞いていて思ったのは、私、愛国心強くなってきたなあってこと。基本的に共産主義思想であることには違いないんだけどね、でもやっぱうちの国にミサイル打ってくるとか、うちの経済水域で魚とってるとか(イカでも一緒だ)、間違ってるだろうって思った。ルールを守れ。そう、ルールを守れ、だ。

そもそも、時間を守らない人を信用しない狭量な私。いろんな角度から考えても許せるわけがないです。

TNKISMの稼働中テーマのお知らせ

ニュースから拾ったテーマを談義する
「乙武洋匡:自分をようやく理解してもらえた」について談義する。

乙武洋匡「自分をようやく理解してもらえた」(東洋経済オンライン) - Yahoo!ニュース

哲学カフェからのテーマ
「もう日本って限界なの?」について談義する。

日本の借金はもう限界
限界集落
限界まで消耗しないと「がんばった」って認められない日本社会
日本の教育の限界を感じる

「嫉妬とは何か」について談義する。

ある高野山大阿闍梨が、断食を何日も繰り返し煩悩を断つ(向き合う)修行の果てに、どうしても断つことが出来ない欲望にたどり着いたそうです。それは食欲や性欲、睡眠欲などの生理的な欲求ではなく『嫉妬心』でした。他の高僧に対する世間の評価がどうしても許せなかったそうです。


タモリさんの「戦争が無くならない理由」を談義する。

『LOVE&PEACE』という言葉があるけど、LOVEさえなければ、PEACEなんだよ。その生き方は、かぎりなく動物や植物の世界に近いな。ただ、『好き』がない世界というのも、ツマラナイだろう? 難しい問題だよ、これは。どうしたもんかね?

※ほかの哲学カフェからテーマをお借りした場合、リンク先にどちらの哲学カフェからお借りしたのかリンクしています。先人たちは素晴らしい。

私が書いていないのは、私のサイドジョブが忙しいからであります。ああ、先陣切って無駄に語りつくしたい。