生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

雑多にまとめて

 こんばんは、今日は塩鯖が仕事をするというので、遊ばないためにも私もパソコンに向かっています。この人は私がゴロゴロし始めると一緒にゴロゴロするので在宅ワークはできないタイプでしょう(入院中とかはバリバリ働くのにねえ)。

 さて、雑多にまとめて最近の色々を。

 きのう何食べたがドラマ化した。おおむねコミックのドラマ化は認めないのだが、このドラマはとてもよくできている。特に二人が「生身のおっさん」という点が評価できる。漫画だとどうしても年齢的な実感がわかない。でも、西島くんと内野さんが向かい合った夕食や朝食で、にじりにじりと痴話げんかをする様子なんて「ああ、ゲイの人ってこうなんだろうな」と実感を伴って感じ入ることができる。

www.tv-tokyo.co.jp

 私はLGBTに精通しているわけではないが、いわゆる腐女子の元祖みたいな時代を生きていたためにBLに関しては抵抗がない。抵抗がないが、理解があるわけではない。だから今さらLGBTって何だろうってググった。

Lesbian(レズビアン、女性同性愛者)、Gay(ゲイ、男性同性愛者)、Bisexual(バイセクシュアル、両性愛者)、Transgender(トランスジェンダー、性別越境者)

 これ一緒くたに語っていいですかね。共通しているのはマイノリティってだけで、あとは個々に問題が違う気がするんだけど。

 LGBT問題についてはニュースでも見ることがあったけれど、全般的に「なんかなあ」と思っていた。それが上の一文で解消した気がする。漫画やドラマの「きのう何食べた」はひとつひとつが丁寧だから感じないのだ、きっと。

 このドラマはお勧めでござる。夜中にやってます。

 さて。

 昨日うっかり、すっぽんをさばく動画を見てしまった。魚は一応さばけるけれど、さすがに亀は辛かった。でも淡々とさばくゆきゆきを見てちょっと感動した。塩鯖も「ゆきゆきは男だ」と言っていた。塩鯖はきっと魚もさばけない(可哀想になってしまう人。タコ釣りしたときもそうだった。じゃあ釣るなよという話だ)。

 でもすっぽんの解体を見て、すっぽんが食べたいとは思わなくなった。脳の仕組みとかは分かんないけど、きっとあるよね、なにかしら。

 さてさて。

 愛護活動をしているとかなりの確率で「菜食主義者」に出くわす。ネット上には菜食主義者以外の動物愛護は認めないという過激派までいる。幸いうちのチームにはそういう人はいないので平穏なものだが(活動そのものはアクティブです。今日は逃げた犬の捕獲のために4,5人で山に登ったよ。捕まらないよ、だって相手は大冒険中の犬だよ)、本当にもうネットの中の愛護活動家って怖い。

 そんな風に思いつつある投稿を見て、なかなかの罵詈雑言で閉口した。そしてふと思い出した。ああ、祖母はこれぐらいの罵詈雑言を吐いていたなと。もうね、祖母に対する恨みとかはないんだけど、子供ながらに受けた衝撃は覚えている。例えば「洗濯物を下ろしておけ」と言われ、5分でも放置していると「年寄りだと思ってバカにしやがって! 早く死ねとでも思っとるんだろう! そんなに年寄りは汚いか!」とか言い出すのだ。この人ぶっ飛んでるな、と思ったものだった。

 でも祖母の世界はそうだったんだ。みんな年寄りをバカにして早く死ねと汚いと思っている、という世界に住んでいたのだ。そう思うと、ちょっと本気で哀れになる。

 最初は嫁(母)が憎いのかと思ったが、どうもそうではない。緩慢な世界で生きるようになった祖母は意外なことに母の名前を憶えている(父は時々祖父になるが)。母が憎かったんじゃないのだ、父が可愛かったんじゃないのだ、世界が憎かったのだ。何一つ思い通りにならないこの世界が。

 愛護活動家の過激な人たちは、多かれ少なかれこれを思い出させる。私はとても悲しくなる。できることなら、そんな世界から救い出したくなる。でもそれは叶わないことだ。叶わないことかな。考える余地あるな。

※今これ書いてゾッとしたんだけど、私も時々冗談で塩鯖に「バカにしやがってー!!」と絡む。うわああ、沁みついている!!

「喉のばい菌が下に降りてきたかな?」

 こんにちは。タイトルは昨日病院でお医者さんに言われたことです。まるで子供相手のようだけど、なんか納得しちゃった。もともとは4月3日くらいに「喉が痛い」から始まった風邪。調子がいいとは言い難い、けれど不調とも言い切れない日々を過ごしていて、昨日は一時間単位で発熱や撲殺睡眠や覚醒を繰り返し、悪化しているのか治っているのか理解しがたい状態になったので病院に行ったのであります。

 私が行く病院は塩鯖と同じ病院。塩鯖は必ず血液検査があって45分は待つのだけど、私のような病院ライトユーザーは待ち時間も少なく、なんと15分で診療から投薬まで完了。運が良かっただけかもしれないけど。本当は薬局でベンザブロックでも買おうかと思っていたんだよね。でも1600円ぐらいするんだ。病院なら今月はまだ再診だしきっと安いと思って病院を選んだんだけど、まっこと正解だったね。治療費は全部で1100円でした。

 若いころは症状が消えたら薬を飲むのをやめてしまったけれど、今はゴールまで飲み切ります。年齢を重ねるごとに医者の言うことを聞くようになるおりこうさんです。

 で、昨日家の中でもダウンを着て帰宅した塩鯖を迎えたら、塩鯖も喉が痛いと言い出している。これはいかんとイソジンのど飴をあげました。冬からずっとかばんに入ってたこの飴、効くとか効かないは正直分かりづらいけれど、潤うので良し。

 よくよく考えたら二人とも喉が喉がと言ってるのに燻製とか作ってバカじゃなかろうかとちょっと思いました。いいんだよ、楽しかったからいいんだよ。

 もう寒いか暑いかわかんないから、ずっと塩鯖のダウンジャケットを着ています。悲しいほどにジャストフィットです。

お天気も良く、部屋は燻製臭く

 おはようございます。今日は良いお天気。今はまだ晴れているので窓を開けてお掃除&喚起。ええ、しっかり部屋が燻製臭いです。嫌な臭いじゃないのでいいけどね。

 さて、昨日の今日であまり書くこともないんだよな……。あ、そうだ! ブロン液! もう二週間ぐらい風邪が、具体的には咳が止まらないんだよーと思っていたので、薬局でブロン液を買ってきた。昔ながらのブロン液エース。驚くほどピタッと咳が止まった。といっても、次の飲用タイムぐらいにはこほこほするけれど、げぇっほぉぉぉ、という咳は出なくなった。そして投薬から三日目、ほとんど咳き込まない。もう飲まなくていいぐらい。

 すぐ効く薬、良く効く薬は怖いと思う。けれど、なぜかわからんが効くものはありがたい。体に有害なものなら販売されてないだろうから、用法容量を守れば大丈夫だろう。

 薬と言えば、ワクチン問題。ツイッターでワクチン接種しないママさんに宛てた、幼稚園からのお手紙を見た。非常に心がこもった、気持ちを察することができ、丁寧で失礼がなく、しかし伝えたいことだけはしっかりと入っているよくできたお手紙だった。行間から「ぶっちゃけ言いたくもないが、あなた方の思想や意思を貫くことで、他の園児にも危険が及ぶ可能性があるんだから罹患したら連れてくるなよ」という本心が見て取れた。

 私はこのお手紙はとても正しいと思う。正直、業務連絡に気持ちなんてどうでもいいが、はっきり言ってワクチン接種を拒否する連中は理論を振りかざしているようで非常に感情的だ。だから論理的に伝えたとしても「冷たい」だの「人間味がない」だの「気持ちがこもってない」だの「幼稚園は子供を預かるところだろう(金払ってるんだから預かれ!)」と言う。ならばこちらも感情をこめて伝えたらいいということだ。

 塩鯖は長らく販売に携わっている。クレーム対応なんて慣れっこだろうと思って質問した。

Q.大声でワーワー言うクレーマーが来たらどうするの?
A.他のお客様にご迷惑になるので、って比較的やりやすい(オールドタイプ)

Q.やりにくいお客様はどんなの?
A.小声でぼそぼそ理屈っぽいクレームつける人(ニュータイプ@未覚醒)

 時代は変わっているようだ。もちろん、こういうタイプのクレーマーも対応できるそう。私だったら黙って全部聞いちゃって泥沼コースなのが見えている。

 コミュニケーションスキルに自信がない人は多い。でも、誰もが最初からコミュニケーションの達人ではないし、クレーマー対応が得意なわけではない。何度やっても不得意な人もいるし、いくつかの数をこなしたら要領をつかむ人もいる。こういう対応が上手な人は多少面の皮が厚いか、鋼メンタルか、自信家だと思っていたが、それは私の思い違いだった。コミュニケーションが上手に見える人の多くは、人と自分の線引きがしっかりできる人だ。相手が怒ってるからといって、相手に合わせなければならないわけではない。理解することは同化することではない。感情や発言の裏にある本当の欲求を聞ける人のことを「コミュニケーションスキルが高い」というのだ。

 今までのお仕事で「この人はコミュニケーション能力高いよなあ(雑談が多いタイプではなく、本当に相手の望むものを的確に見抜いて広がる提案ができる人)」と思う人が何人かいた。私は自分のスキルに不安があるので聞いてみた。普段から高いコミュニケーションスキルを発揮してるんですか? って。お返事は塩鯖とも同じだった。

「基本、人に興味ないから一人で過ごすことが多い」

 量の問題ではなく質の問題なのだな、そしてその「質」というのも、自分で向上させている(多くを学び取って糧としている)のだなと思った。私なんてまだまだ人間ができていないので、感情を消費して終わっちゃうことが多いので、とても勉強になる。

 そうそう、塩鯖がパソコンを忘れたというので届けに行っている道中で、ふと気が付いたことがある。私は男女雇用機会均等法なんてくそくらえだと最近書いたが、私自身「女ばっかり家事と育児と仕事なんて忙しすぎる、不公平だ」と思っていた。だから男女が平等になると聞いて「そりゃあいい」と思ったこともある。もちろん、これは日々休む間もなく働いている母を見て思ったことだろう。でも、自分が働く側になって男女平等の風にさらされたとき「平等って不公平だ」と思ったのだ。うん、今考えても「もやしメンタル」だと思う。お前文句しか言ってねえ、とも思う。けれど私はそう思った。だから女性の権利活動関係に対して嫌悪感を持っているのだ。

 私はきっと、頑なに平等は公平だと信じていたかったのだ。でも、世界の法則はそうではない。理不尽で無常で時々奇跡が起こる。自分がコントロールできることも少なければ、誰かに割を食わされているなんてこともごくわずかだ。私は自分が感じた不平等に理由をつけたかった。不平等さを認めたくなかったから。でも最近そんなの無駄だなと思うようになった。そしたらかなり生きるのが楽になった。

 因果は自分の外にあるのではない、自分の中にある。そういうことだ。今は突発の事態もそこそこ楽しんでいる。