生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

家族になるってこと

(病気あんまり関係ない気がしたからタイトルを直しました。)
 昨日ちょっとツイートしたことをまとめます。




 これをそのまま塩鯖に伝えたら「今死んでも良かったなって思うよ」と言ってくれたので、ホントにもう生きててよかったわって思うんだけども。

 私は塩鯖と家族になるとき、「この人と一緒になって私は苦労しないのだろうか」と考えた。安穏と専業主婦で暮らしたかったわけでもないし、楽させてもらおうと思っていたわけでもないけど、でも多大な苦労が押し寄せてきて、私は受け止めきれずに墜落するんじゃないかとも思った。あるいは、結婚という形が取れなくて、私は家族でもないのに無理やり一緒にいる人扱いされて、めっちゃ肩身が狭い思いをするんじゃないかとか。

 でもね、よくよく考えてみれば一人で暮らしたって不安があることには変わりがないし、是が非でも働けない理由があるわけでもない。縁があって一緒にいるのだから、家族であろうとなかろうと、入院したらお見舞いに行くだろう。そして、墜落するも何もそもそも飛んでいない。

 結婚するまでの期間はとても短かったけれど、私は塩鯖にとっても感謝していた。私の植物のために汗だくになってくれたり、私のためにハードな仕事(当時は今とポジションが違ったので朝も早くて帰りも遅かった)のなかで遊びに連れて行ってくれたり。それが私好みではないものもあったけど、そんなことはあんまり関係ない。ただ、私を楽しませようとしてくれたことが純粋に嬉しくて感謝していた。一生懸命に取り組むってことがどういうことか、目の前で見せてくれた人。こんな風に生きたいと思えた人。だから一生一緒にいようと思った。

 親の意見も関係ない(親が反対したわけではない)。彼の境遇も関係ない。貯金の額も関係ない。まったくのゼロから、私の判断で「結婚する」を選んだ。今この選択に一切の後悔はない。

 難病だから自由ではなくなる。難病だから今までと同じようには生きられない。難病だから制限されることは確実に増える。全部、確かにそうだと思う。だから可哀そうだと思う。理不尽が体当たりしてくるようなものだと思う。当たられたほうは受け入れるしかないから、なにもかもが、今までの人生もこれからの人生も、良かったことも悪かったことも、全部全部嫌になっても仕方ない。

 そんなとき、家族は何ができるのか考えた。すごくすごく考えたけど、出てきた答えは「一緒にいる」ことだけだった。もちろん、病気を知るためにいろいろ勉強するけど、それは役に立つことがあればいいくらいで、実際にああしろこうしろと言ったことはない。唯一言ったことがあるとすれば「病院には必ず行くこと、薬は決まった量を飲むこと」だけだ。

 病気や事故で不条理に「今まで通り」を奪われた人の家族ができること。それは「苦楽を共にする」ことしかないと思う。家族以上に不幸になったって当人の苦しみは癒えない。人は悲しいほど、自分に降りかかったことしか背負えない。本当のところ、分かち合うことすらもできない(悲しみは1/2、喜びは2倍とかいうけども)。

 そういう経験を通して残ったことは、家族だからできることは、常日頃から思いやりを忘れないことだと思った。「今まで通り」ではなくなったからといって、未来が全部失われることはない。たとえ本人が未来への希望を失っていたとしても、代わりに誰かが希望を捨てずにいれば、その希望は手のなかに戻ってくる。その役割を担うのが家族なんだろうなと思う。

 私一人だったら、私が希望という名の風船を手放した時点で飛び去ってしまう。だけど塩鯖がいるから、私が絶望してその手を離したとしても、塩鯖が代わりに持っててくれる。そういうことだ。塩鯖のことだから、私の風船を気球に取り換えてにこにこしてそうだけどね。「これは金の斧ごっこですか?」って聞かなきゃね。

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 ちなみに、保険のお兄ちゃんは今日も来ました。二人に増えていました。明日も来るんだって。契約しないって言ってるのにねえ。

 そしてこのブログ、塩鯖も読んでいます。隣で読まれるときの微妙さといったらもう。

ヒート

ヒート (字幕版)

ヒート (字幕版)

 これ、1996年の作品だってよ。マジか。もちろん、公開時にも見ましたとも。

 改めて見ると、現代版の「俺たちに明日はない」だ。ボニーとクライド、彼らは男女だったけども、あんまり性別は関係ないような気がする。こういう生き方でしか、生きている実感を持てない人はいるということだ。

 生きてることは幸せなんだろうかと時々思う。いや、正確には「生きる意味ってなんだ?」というほうが正しい。ハッピーしか起こらない人生なんてない。だからたくさんの物語が生まれ、哲学が生まれ、芸術が生まれた。

 私はたぶん人生の折り返し地点ぐらいなんだろうけど、ふとね、まだ未経験のことこそたくさんあるけど、感じえるすべての感情は一通り経験したんじゃないかなと思うようになってきた。人ってとっても複雑な生き物なので、複雑な感情も持つものだけど、その複雑さももうかなり味わったんだろうなって。あと味わったことがないとしたら、今まさに私の肉体は死のうとしている(それが自殺であってもピストルを向けられていたとしても、どちらも肉体が死に向かっているということには変わりがない)という実感だけだろうなって思う。幸い丈夫な体なので死にかけたことはあっても「これは本気で命の灯が消えようとしている」と感じたことはないんでね。

 先日ちょこっと書いたハイパーハードボイルドグルメレポートを企画した人も、ギリギリの感覚が生きている実感を持たせてくれると話していた。これはとても危険な兆候なのだけど、だからこそ撮れる映像があって、それを見るからこそ(安穏と暮らしている)私たちは考える。

 こんなことを取り留めもなく考えていたら、洞窟探検家の方が言ってた「恐怖を持つって大事だ」という話を思い出した。ヤバい、あともう少しで俺は死ぬ、っていう恐怖がなければ生きて帰れないって。そうだと思う。死への恐怖が生きる力になる。

 だとしたら、ボニーとクライドは、ニールとハナは、ずっと片道切符だけを握りしめて、どこで自分たちが死ぬのかっていうゲームをしていたようなものだろう。だから彼らのような人間が生き残ってしまったとしたら、残りの人生は燃えカスのような生き方しかできないだろう。生きていればいいこともある、そんなこと誰もが分かっている(心の病になっていなければ)。何の保証もない未来の「いいこと」のために、今自分らしく生きることを放棄するか、それとも、というハードボイルドさ。日本では北野映画ぐらいかなあ。

 クリス役のヴァル・キルマーの男の色気がすごい。かっこよすぎる。典型的なダメンズだろうけど、私はこの人こそ嫁を失っては生きていけないのだから、命だけを助けるなんてかわいそうだと思ってしまった。私なら、子供の可能性に全部をかけて警察に協力しないな。あ、ボニーとクライドになっちゃうね。

 私はまだ、命が惜しい。

車を買い替えることにした

www.honda.co.jp

 おはようございます。塩鯖2連休なので車をたくさん試乗してきました。といっても、最初のHONDAのN-BOXに試乗した時点でほぼ決まりだったんだけど。あの車本当にすごいわ。

www.goo-net.com

 私の愛車は2003年式のMODE(黒)。ペーパードライバーだった時に新車で購入したもの。下取りの見積もりのために走行距離を見てもらったら10万キロを超えていた。私はあんまりロングドライブしないので10万キロなんて行かないだろうなと思っていたけど、けっこう愛媛と香川の往復とかポスティングで乗るから走ってたんだなあ。

 10万キロなんて想像つかないと思ったので調べてみたら、地球2周半ぐらいの距離なんだそう。けっこう長い距離をこいつとドライブしていたんだなと驚いた。

 アルトラパンはよく売れている車なので、田舎でも都会でもよく見かけると思う。私が乗ってるラパンは黒。パールが入ってるので意外と色の劣化がなく、今でも綺麗だと言われることも多い。少なくとも15年も走ってるとは思えないという感じ。その一番の理由は、同じ年式くらいの車がバンバン走っているからだと思う。ちょっと注意深く見ていたら、ぼちぼち見かけるもんね。これは結構珍しいことなんじゃないかと思う(アルトラパンという車種だけなら売れてるから多いのは分かるけど、そうじゃなくて2003年~2007年までのタイプだからね。どれももう10年以上経過していて税金が上がってるはずなんだ)。

 本当にいい車だと思う。かくかくっとしたフォルムのちょっとレトロな感じがとても良かった。

 で、次に乗るN-BOXは新型のノーマルのターボ、要するにノーマルの一番グレードの高いやつ。あの広さを見ているだけで、むくむくとキャンプとか行きたくなるから不思議だ。だって簡単に荷物が詰めちゃうんだから本当にポテンシャルが高い車だよね。

 こちらのレポートにある、後部座席の跳ね上げ画像、この通り簡単に後部座席が上がってフリー領域になる。背が高いものを積むのにもいいし、後ろのドアを開けて載せてとかしなくてもいい(スライドドアはどちらも自動だし)。逆に広すぎて荷物が動いちゃうかもだから固定用のバンドとかは準備しなきゃかもしれないけど。

autoc-one.jp

 最初はN-VANにしようかとも思っていたんだけど、具体的な使用用途がないなら勧めないということだったし、実際に運転席以外のシートはペラペラで長距離移動なんて絶対無理だろうから、営業さんのおすすめ通りN-BOXという選択で正解なのだと思う。

 車が届くのは8月の下旬、ということは私はしばらくエアコンなしのラパンに乗らねばならないが、それももう割り切って楽しんで(無理しないように)乗ろうと思う。いや、本当に車の進化ってすごいね。っていうか、HONDAの技術開発すごいね。日本の車ってすっごいね!!