生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

やっべぇ、11月だ

 こんにちは、いつの間にか11月。なんかもう良く分からないままに月日が流れています。ここも書きかけては日を数日またいでしまって消しちゃうコースでした。

 今ちょっと考えていることは、noteへの本格移動です。でもやっぱりここ好きだし残すかな。たまに罵詈雑言(ry。

 とりあえず塩鯖は調子を崩して投薬が増量してから調子が良くない状態が続いています。ステロイド(副腎皮質ホルモン)は劇薬だなと改めて思います。早く良くなって減薬されてほしい。

 さて、なんだかもういろいろあって頭がパンク中。小さなことから小さくないことまで、といっても大体個人スケールなので全部小さなことなんだけどね。わけあってパソコンの個人レッスンをし始めたのだけど、はっきりいってパソコン教室以前の感じ。これはこれですごく面白い。カタカナが出てきた時点でパンクする人もいれば、じっとしているけど実は声が滑り落ちていたりね。でもある意味ではこれが普通。うちも妹ちゃんは似たようなものだろうなと思う。

 パソコンやスマホでの操作に対して、恐怖心を抱く人は多い。その恐怖が聞けば結構面白いので、悪趣味な私は聞くことにしている。

 一番多い恐怖は「個人情報が流出したら怖い」だが、そういう人でSNSに何の抵抗もなく「今ここ」みたいな情報を流していたりする。内緒だって言いながらも声がでかいよお前みたいな感じ。

 次は「どうにかなりそうで怖い」というもの。どうにかのイメージの最後はたいてい爆発か「分からない状態」。じゃあ今わかる状態なのかと聞くと、今既に分からないという。なんだこの哲学問答。ちなみに爆発イメージってリチウムイオン電池の爆発じゃなくて実験博士のどっかんみたいな感じなんだろうなと、勝手に意地悪な推測をしている。

 次に「現状復帰できなくなりそうで怖い」。その怖さから、作ったブログやSNSアカウントにログインしないという猛者までいた。何のために作ったんだと。ここでも禅問答が繰り広げられ、己に負けてパスワードを忘れるぐらい放置するっていうね。あるある、あるある。

 最後は「勝手に課金されそうで怖い」。もちろんカード情報など入れたことがないというのに。入れない情報は抜くこともできない。この当たり前のことが「なんか分かんないけど、すごい人はやるかもしれない」という発想に負けてしまうらしい。みんな落ち着け。ハッカーがいたとしても奴らはエスパーじゃない。でも、そういう人たちのほとんどがネットバンキングを利用していない。狂気。私は銀行で振り込む方法を忘れそうなほどである。

 私なんかはとても無気力人間なので、例えばエンジンがどうにかなったとしたら、自分でどうにかしようとも思わない上に、最初は慌てふためいておかしな行動はとるものの、最終的に絶望してたそがれるのが関の山だ。痛みに弱いのでちょっと手を焼けどしたらもう「世界なんて終わっちゃえ」と思うだろう。

 黄昏ている私に「なんで自分でやってみようと思わなかったの?」なんて聞かれても「だって怖いもん」と答えると思う。間違っても「だってめんどくせーし」って答えない。なぜなら、助けてもらえなくなるからだ。なるほど、彼女たちのメンタルがちょっと理解できたような気がする。やる気を出してくれたんだから、できることはしていこう、オレ頑張れよ。

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 妹の愛猫であり家族のアイドルであったちょび姫が突然他界しました。私はさほど猫好きではなかったけれど、それでもやっぱり顔を見たらにゃーにゃー鳴くこの子は可愛かったし、いろんなものをたくさんもらっていたんだなあと思いました。愛犬の隣に埋葬したそうです。

 妹ちゃん曰く、ババよりも長生きすると思ったのに、だそうです。いや、ババもここまできたら長生きしてよと思うんだけど、でもそれちょっと分かると思った。ちょびちゃん、虹の橋で待っててくれよ。

瀬戸芸2

 遅くなった瀬戸芸2。

 四国村のそばにあるわら屋で昼飯。もちろん釜揚げ2人前。これがアホほど量が多かった。何が辛いって、暑いのと熱いのと、味が変わらないの。でもとっても美味しかったのよ。

www.wara-ya.co.jp

 そしてのんびりと高松港方面に行く。北浜アリーで少し展示を見ながらうろつくも、私はわら屋の胃袋クラッシャーにやられてほぼ夢遊病患者化していた。








 北浜アリーの展示はうちわの骨組みで作った羽のオブジェが圧巻。台風後だったのでお兄さんが修理しつつ雑貨屋もやっていた。忙しそう。でも楽しそう。

 夢遊病者としてふらつく中、うどんマシン(香川大学が開発したらしい、すごく、とんでもなく、とてつもなく、しょうもないロボット)の1階のキッシュ屋さんでジュースを飲んだ。とても美味しかった。もうほんとね、沁みるほどにね。大量の釜揚げは思考力も奪ってゆく。ヤバい。

 その後友達はあまりに眠そうな私に気を使ってか、高松駅から広島へと帰ってゆきました。無事に見送って直行で帰宅して撲殺睡眠をむさぼったのは言うまでもない。

 瀬戸芸そのものは好きだが、ここに住んでしまっているがためにものすごく億劫になる。ここに住まなくなったら多少無理をしてでも巡るだろうか? 甚だ疑問である。そんなことを思った2019年の瀬戸芸秋開催でした。ほかの離島、行く元気があるだろうか(風邪を一週間引きずっているオレ)。

やっちまった!

 こんばんは。心のままに書き殴ります。それはいつものことだけど、いつも以上に。

 ダブルで倒れたことで心がいっぱいいっぱいになっていたようで、アルバイトの出勤日を間違えて始業時間に連絡をいただくという失態をしでかした。慌てすぎていろいろ忘れていったけれど、落ち着いて考えるとクビになっても仕方がないぐらいのことだったと思う。だからもう、いつクビになってもおかしくないんだぞ(私は)という気持ちで、できる限りいろんな仕事を教えてもらって、みんなの役に立ちたいと強く思った。

 幸い、優しい人ばかりでこっぴどく怒られることはなかったけれど、こいつは年の割にはできんぞと思われたかもしれない。それもまた今の自分の正当な評価だ。仕方がない、仕方がないけど、不甲斐ない。そう、不甲斐ないという言葉がぴったりだ。自分の記憶力を過大評価していたのかもしれない。

 アルバイトに関しては本当に「すみません!!」しかないのだけど、それ以外のことでいろいろと心に渦巻くものがある。でもうまく言語化できない。

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 吉本ばななさんのnoteを読んでいて、時々ツイッターでご本人が登場する。すごく嬉しいこと。

 今回しみじみと思ったのは、吉本ばななという人が小説を書く理由は、彼女が様々な経験をすることによって、彼女の書き出すものが誰かを癒す(許す、それでいいんだと思える)ことがあるからこそ、なにがしかを書き、小説として美しくこの世に残していくことが使命だったのだろうということ。

 きっと生まれる前から神様と約束していたに違いないと思えるほど。きっと自分にもそういう何かがあるのだろうけど、まだ七転八倒で探している。

 私の場合も、やっぱり書くことが一番好きだと思う。だけどどうやったら必要な人に届けることができるのか分からない。

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 母の私へのディスりが多い。その中でも評判の良かった2つ。

(かずら橋が怖くて渡れない私に)「あんたこの隙間から自分が落ちると思ってるの!? 図々しい!!」
(海遊びにもっていくタオルについて)「フェイスタオルぐらいであなたの体が拭ききれると思ってるの?」

 確かに成長してるけれど、やせ細ってカスカスよりもいいだろうがよ!

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 最近、風邪薬を飲んでぽくっと寝ることがあるのだけど、その時見る夢がSFチックで面白い。私はある現実で、家族を失う経験をして目が覚める。実はそれも夢なのだけど、その夢を見たことによって、目覚めた現実(という夢の中)では他人の親子に並々ならぬ関連性を感じて、でも超不審がられて(当たり前だ)逃げられそうになるんだけど、そこの女の子に「この人は私のママになる人だよ!!」と言ってもらって、あれは夢じゃなかったんだ、違う次元の、今起こっていることなんだと確信を持てて、今を信じる気持ちになって、来る危機を回避できそうだと希望が持てる、というところで目覚めた。

 要するに多次元物の、よくあるSFだ。でもやたらと生々しく、後悔というか懺悔の気持ちもリアルに感じられる夢。

 多次元物のSFはそれほど数を読んでいないけれど(すぐに思い出されるのはクォンタムファミリーズで、あれはとても読みづらかった)、塩鯖と一気見してしまったこのアニメはとても面白かった。

 この世が多次元かどうかも、どこかの次元で現実的に起こったことかどうかも、本当はどっちでもいいことだと思っている。そういう補償や担保がなくても、やりたいことをやればいいのだ。間違ってたり、あまりにも変だったら、きっと誰かが止めてくれる。