濁った激流にかかる橋

濁った激流にかかる橋

濁った激流にかかる橋

 表紙も美しい大作を読み終わりました。読み応え、手ごたえともに抜群でした。津原さんのイレブンの読後感に近いです、わたし的に。

 以下の9編の短編連作からなる大作です。

*濁った激流にかかる橋
*泥水の激流の右岸に住むさいづち頭の子孫
*霧のかかる騒がしい橋からのひそやかな墜落
*ドエル・リバーサイドのひとりぼっちの幽霊
*橋の上で赤い銅貨のような光を浴びる女
*かの有名な氾濫原のバレリーナとその子孫
*恋と市長と水しぶきのかかる橋
*公式記録による世界で最も美しい激流
*伝令、激流にかかる橋を征服する

 いずれも甲乙付けがたく、9つでひとつの物語なのでレビューはまとめて。でも個人的には「ドエル・リバーサイドのひとりぼっちの幽霊」が好きだな。しかしこの大作のひとつのパーツとして好きなのであって、「ドエル・リバーサイドのひとりぼっちの幽霊」ひとつだけでは成り立たないと思う。

 それぞれの物語にはそれぞれの主人公がいる。共通するのは濁った大きな激流にひとつだけ大きな橋がかかっている場所に住んでいる、ということだけ。川を隔てて右岸と左岸に別けられている。右岸コンプレックスと左岸の腐敗した社会の果ては世界を表しているようだ。

 そういう意味で、これはひとつの歴史小説なんじゃないかと思った。人の一生よりは長い、歴史から見ればほんのひと時の「時」を描いた物語だと。

 通勤時間の橋は、大げさなほど混乱している。罵詈雑言が飛び交い人が死に掛けたりする。そんなところないでしょう、と思うけれど、日本のどこかにはありそうな気がする。世界を達観できるほど、わたしは自分が成熟していないことぐらい知っている。でも、改めて思ったよ。世界って深いんだって。

 橋が当たり前にある者、橋を作る者、橋を守る者、橋に惑わされる者、それぞれが出てきて勝手に物語が進んでゆく。わたしは目が、手が止まらなくなる。

 登場人物たちが常々右岸と左岸を意識しているせいか、わたしも右岸と左岸を意識して読んでいた。気がつくと、右脳と左脳について考えながら読んでいた。わお、この浮遊感といったらたまらない。他の積読を差し置いて、わたしがなぜこの小説を読みたがっていたのかがわかった瞬間だった。

 濁流の奥底には、本当に冷たい清流があるんだろう。そしてそこでは、死んでいった人たちが冷凍されたように時間を刻まず「いる」んだろう。それを見てある人は「悲しい」と思い、ある人は「懐かしい」と思うんだろう。

 最後はすっきりとまとまった終わり方をしていたが、わたしの中に深い深い闇が残った。恐らくは、初期の堤防と後期の堤防の間の、社会の不条理が作った闇だ。

 洪水が来るから堤防を作る。「そんなものをつくると、もっと大きな洪水が来ると祖母は言う。」まったくだ。とてもとても、面白かったです。