もの食う人びと

もの食う人びと (角川文庫)

もの食う人びと (角川文庫)


 3.11の風化を思ってまた開く。この本は時々しか開かない。けれどどうにも捨てられない。

 この著書の中にはチェルノブイリ事故が起こった場所で、ものを食ってる人を書いている。「禁断の森」がその章だ。

 食堂の人びとは「だいじょうぶ」と言う。たくさん言う。実際に放射能は色もなければ味もない。ただのイモのスープ。放射能応用実験室の主任も「だいじょうぶ」と言う。ただし、キノコと魚は食わないほうがいい、と。

 著者は放射能測定器を持ち歩き、彼らが食べているものを測定する。東京の○倍か、と記す。彼はどんどん原発に近づいてゆく。

 プリピャチで静止した観覧車を見る。美しい。「濃い放射線の中に立ちつくす観覧車。遠くの、病んだ森。八年の歳月は、風景をさほどに清めてはいない。」と書かれている。
 
(※「もの食う人びと」の文庫よりお借りしました)

 痛みを訴える人が登場する。キノコを食べるのか? と聞いて「ほかになにを食えばいいんだ! ほかに!」と野次が飛ぶ。

 この章に漂うのは、様々な理由や事情を飲み込んだ「諦め」だと感じている。時代も国も違うけれど、同じことが起こった場所だ。わたしにとって、原発に関わらずあらゆる意味で「危機」を提示している本だと思う。最終的にどうしろとか、どうだったとか、書かれていない。でも事実ってそうだろう。現実って未来を示唆してくれないものだ。故に、未来は自分で選べるものだ、とわたしは思う。

 この本は1997年に出版されている。チェルノブイリだけではなく、様々な場所、暑いところ寒いところ厳しいところ自由なところ、時には残飯さえも「食事」だ。あらゆるところに行って「美食」ではない「当たり前の食」を記している。

 日本人の多くは1997年からさほど変わらず飽食の時代を続けている。これを読むとね、立ち尽くすしかない。ダーウィンの悪夢ほど立ち尽くすしかない。ひれ伏して謝り倒すことさえできない。しかし、今の日本は現実に「ある」。

 わたしはどの道を歩くことにするか、もう決めている。議論の必要さえない。あとは後片付けして歩くだけだよ。