王国〈その3〉ひみつの花園

王国〈その3〉ひみつの花園

王国〈その3〉ひみつの花園

 失恋した、何かを失ったすべての人々へ。雫石の王国シリーズはこれで終わり。

 雫石の温度の低い恋愛はここで終ってしまう。一度でも徹底的に失恋した人であればきっとわかるだろう。失恋とは、失うのではなく思い知ることなのだと。

 雫石がていねいに失恋を語る部分が多くを占めていて、あまり感想らしい感想は思いつかない。最後に片岡さんと台湾に旅行するところがすべてだと言ってもいい。失恋とはそういうものです。頭で思い知って、身体で思い知って、記憶で思い知って、食って風呂入って寝る。思い出が涙を流させることがあったとしても、それは浄化だからいいんだと思う。

 雫石の恋人が結局は初恋の人を思っていて、それを引きずったまま雫石と出会って、恋に落ちて離婚して、そのすべては雫石の運命の時間の隙間で起こったこと。真一郎くんを責める気にはとてもなれない(片岡さんはひどこいこと言うけれど、確かに陰気で暗い人ではあったな)。

 そもそも恋愛なんてそんなもんかもしれない。なんか足りないと思ってるところに、すっぽり当てはまる人が来たら恋をする、それは自然の成り行きであって、終わりが来たときは終わりなのだ。

 最近よく「手放し」という言葉を耳にする。スピ系でよく使われてるように思う。「手放し」は思い通りにならないことや、終わってしまったことを「忘れる」ことだと解釈されがちだが、わたしは違うと思ってる。「手放し」とは「手放し」たところに別の必要な何かがすっぽり入って満たされることまでを指すんじゃないかなぁ。

 ともかく、雫石の物語は終わってしまった。雑でおおらかで清い、そしてやや日本語が変(本当に会話の日本語が変なのよ)な女の子は王国その4に続く。なんと贅沢なシリーズなの!

 王国シリーズを一気読みして痛感したことがひとつ。常々思ってはいたけれど、よしもとばななという人は文章を作る文字自体にすごく神経を使っている。どこをひらがなで、どこを漢字にするか、完全に計算している。それは川上弘美にも思うことだけど、本を開いた瞬間に感じるのだ。なにをどんな風に描こうとしているのか、比率、でもなく感じで分る。

 ばななの父ちゃんの真贋も並行して読んでいるけれど、親子して同じこと言ってるのね。突き詰めれば対局と同等になる、と。そうね。でも突き詰めた先の対局と同等と、考えなしのその位置では全然意味合いが違うから、わたしはもっと考えますとも。