アルジャーノンに花束を

アルジャーノンに花束を

アルジャーノンに花束を


 高校生の頃の部活の先生がダニエル・キイスが好きだったみたいで、部室の奥の教員室に彼の本が並んでたんですよ。あの頃はちょうどジュブナイルに飽きていたからビリーミリガンとか五番目のサリーとかも読んだはずなんだけど、この本だけはどうしても読み返したくなって。再読と言っても15年も経てば再読とは言い難いね。

 あらすじは単行本のあとがきにある通り。322ページ。

 知能指数67の主人公が手術によって天才となる過程をえがいた作品で、けれど同じ手術を事前に受けたネズミのアルジャーノンが驚異的な知能を得たのちやはり急速なスピードで知能をうしなうのを見て、主人公が自分の行く末を知る

 サイエンスフィクションと言った方がいいのか、サイエンスファンタジーと言った方がいいのか、迷うところ。しかし好きだな。やっぱりとんでもなく好きな小説だな。

 この手の小説でテーマとなるのは「人が人を作る」という行為の倫理観そのものを問うているのではないかと思う。といっても難しくなくて、どこまでが人間の範疇なの、それは数字だけで片付けていいの、ということだと思っている。答えはいまだにわからない。どこまでを「人間の行って良い範囲」なのかは、わからない。

 主人公ゴードンが施設を訪れたときにつぶやかれた言葉。239ページ。

 金や物を与える人間は大勢いますが、時間と愛情を与える人間は数少ないのです。

 手術前のゴードンのような子供たちに必要なものは本当はなんだろうか。奇麗事ならいくらでも言えるけれど、本当に本当の必要なものを与えることが、果たしてできるんだろうか。

 母親も父親もゴードンに対してある意味では優しく忠実に家族であったと思う。誰も、誰かを責めることができない。

 終末医療や高齢化社会についてのニュースなどを見ると、如実に数字を見てきた自分と、実際に祖母が同居している事実と、その祖母の子たち(父の兄妹たち)の態度やらいろいろを考えると、祖母が死んだときに「長生きしてくれてありがとう」とは到底言えない。けれどね、どこかで技術が発達してどうにかしてくれないかなと願う自分もいる。仕事場で数字を見てため息をつく自分もいる。難しい。

 難しく考えるために読んだわけじゃないんだけどね。あくまでこれは架空のお話し。大好きな、お話しです。