村田エフェンディ滞土録

村田エフェンディ滞土録

村田エフェンディ滞土録


 内容はAmazonさんから。

1899年、トルコ。遺跡発掘の留学生村田君の下宿には、英国の女主人、ギリシャ、ドイツの若者がいて熱い交流があった。宗教、民族、国家の根っこから人間を見つめ、その喜びと苦難を描いた新スタイルの青春小説

 ほっこりすると思って読み始めたんですが、ほっこりするどころか、哀しくて哀しくて仕方がないんですが。

 青春小説、である。青春小説というのは、語りべが思い出したとき初めて生まれるものではなかろうか。もう戻れない日々を「青春」と呼ぶのでは。そうか。それならば哀しいかもしれない。

 物語はトルコから始まる。そして日本で終わる。梨木さんのエッセイも読んでいるので、彼女の伝えたい物語は受け止められる。けれどどうしていいのか分からない。歴史の前におびただしい血の海は避けて通れないのだろうか。本当に?

 心理学か民俗学か政治か、領分はわからないけれど国とはなんだろうかと考える。わたしは日本人だ。たまたま日本に生まれて日本で育った。一度も国から出たことがない。ただそれだけで、この年齢まで他者から命を奪われる脅威も知らずに生きてきた。歴史を知れば知るほど、後ろめたさを感じる。これがひとつの小説に過ぎないとしても、だ。

 これはファンタジーだと分かっている。しかしとても人事に思えない。

 わたしができること。特筆するほどではない日々であっても、それは着実に積み重なっている。辛くても楽しくてもその時間が積みあがって今がある。間違ったと気づく日がきたとしても、間違って過ごした日々は捨てることはできない。記憶喪失にでもならない限り。もし手のひらを返したとしたら、その日から後悔し続けることになる。わたしはそういう人間だから毎日を大切にしようと思った。

 とりとめがないですね。