「悪」について、哲学的に語ってくれますか?

 全然哲学的じゃないっていうパート2。


 善のところでも書いたけど、悪は否定しなければならないものではないと思っています。発露の違いであって、じゃあ結果論なのと問われたらそれはちょっと違うんだけど。悪とは最も下賤で思いやりを感じられない様々をわたしは悪と思っています。

 分かりやすいのは芥川の蜘蛛の糸です。しかしあれを読んで激怒する人がいるでしょうか。どこか共感できるんじゃないでしょうか。糸をぷっつり切る立場にさえも多少の共感はするんじゃないでしょうか。わたしは自分の中に両方あることを思い知らされて、芥川先生が苦手になりました。読むのが苦行なときが多い。

 人を貶めて自分を持ちあげることをしないと立っていられないような人を見るとすごく頭にくるし腹が立つ。逆に博愛過ぎて身近がおろそかになってる人にも腹が立つ。それが自分に矛先が向いていなくてもです。かといって、わたしが正義感が強いかと問われると全くなんですが。むしろ正義感は弱い方で、加えて性格もあまりよくないので、日本国籍を持ちながらアフリカの人々に人権をとか言って活動してる人を見ると「日本も腐敗が進み過ぎて頭打ちですが、それでも金があるからいいじゃんと思ってるんですか。じゃああなた日本国籍捨ててそっちの国の人になってやってくださいよ」と思ったりします。わ、相当性格悪いよね、これ。でもそう思うんだもん。仕方ない。

 梨木さんの「僕は、そして僕たちはどう生きるか」という本があるのですが、元になった本は思想的に受け入れられない人はいるかもしれない。でもこの本に出てくる一節はすごく好きなんです。

 主人公の友達がひよこのころから飼っていた鶏を飼えなくなって学校で育てようということになります。彼は頑張って鶏を学校に連れて行きます。鶏さんは寄り道とか多いからね。でも可愛がってるから頑張ります。で、学校で担任の提案によって捌かれるのです。これだけ聞くと「その先生頭おかしい」と思います。でも「尊い命の授業なんだ」とかいって涙を浮かべながらやったらどうですか。それを肯定的に新聞が取り上げたりしたらどうですか。わたしは人間が間違ってるのか性格が悪いのかわかんないけど、自分の大切なものを他人に壊されるのは嫌いです。許しません。

 その次あたりで主人公の母が「あれは必要のない殺しだった。なぜこの今現在必要なことか分からない。ペットとして可愛がっている鶏をわざわざ殺して見せる必要なんてない」と言います。そっちのほうが正しいと思った。ちなみにこの担任は命の授業をまねしたという設定だったと思うんですが、いろいろ考えてよくできたプロットだなと思います。特に今、現在だから。

 ちなみに、手元にある本ではないので多少間違ってるかもしれません。それはわたし解釈だと思って下さい。文責はわたくしに、ありです。