日本語を書く作法読む作法

日本語を書く作法・読む作法

日本語を書く作法・読む作法


 タイトルどおり「日本語を」だ。小説の書き方講座ではない。けれど阿刀田さんはたくさんの短編を書かれており、たくさん本も読んでおられ、小説家であることはただ文字を連ねて物語を作るだけではないことを、すごく優しい言葉で書かれている。こういう人の本に出会うと今日一日が既に充実した気持ちになる。

 阿刀田さんがいくつかの作家の作品について書かれている部分がある。そこを読んで「そう、それです。それに気づいてわたしは小説が好きになったんです」と思った。国語の授業では教えてくれない表現のふくらみだ。いや、きっと国語が好きな先生だったらそういう教え方をしてくれるのかもしれないが、うちの学校は新任か左遷の先生が多くって「文中の『それ』はなにを指すか」とか漢字の書き取りとか、そればっかりだったんで、学生時代は国語の成績はいいけど日本の文学なんてほとんど読んでなかったんだ。

 小説の書き方というのは最低ラインが決まっている。今はケータイ小説なるものが当たり前になって、無駄な改行、変な日本語表記(「ゎたしとぁなた」とか)を平気で提出しちゃっていてびっくりする。小説家になろうというサイトでいくつか小説らしいものを読んだが、一番驚いたのは20文字程度で意図的に改行しているものだった。作者曰く「携帯の幅に合わせました」だった。禁則処理も鉤かっこのルールもない。うーん、今の国語はそういうことを教えているのか? むしろ教えてないのか?

 最低限のルールを嘆くのはいいとして(もっと嘆きたいけど)、書く作法のところで「会話の重要性」について書かれている。向田邦子は臨場感があって素晴らしいと。確かにそうなんだ。情景描写でも可能だろうが、あの人の小説の会話は情景もつれてくる。妻のちくりとした言葉に対して夫がさらりとかわした風でいて、背筋が凍っているだろうというのが伝わる。ぬおー! 書くって難しいね!(今更!)

 わたしはまだまだ未熟で、ここでは特に率直な言葉しか出てきてないけれど、次に書く小説では活かしたいと思う。いや、そんな簡単にできることじゃないけど、志すことは可能だ。

 読む作法の方では日本語遊びが楽しい。わたしはつい可愛くない皮肉を言ってしまうけれど、可愛げのある気の利いた言い回しは人物描写を必要としないほどありありと人を想像できる。そしてその想像からまた広げられる言葉遊び。

 ビジネス会話じゃないんだから、楽しく、楽しく、そして読む人を楽しませるものを、書きたい。