生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

テレビ なし 生活

 検索No1です。なんで? ねえなんで? 実家にいますがテレビは3台ありますが、自分が電源を入れることはありません。リモコンの使い方もいまいちわかっていません。でも今月のジレンマは頑張って録画するんだ。

 そもそもなんでテレビいるんだよう。ニュースだけ見てる人ってどのぐらいいるんだろう。みんなドラマかバラエティ見てるんじゃないかと。うちはだいたいNHKなんですけどね、天気予報大事だからね。でも両親共々スポーツは必ず見ている。単にスポーツ観戦が好きなんだろう。スポーツがない時はテレビをつけて寝ている。謎だ。

 友達とのメールのやり取りで、ネットの方がしんどいからテレビの方が楽って。理由を聞いたらなるほどー。わたしはそんなに他人に興味がないだけですね。ええ、最近ブログめぐりも怠ってますし。気分の問題です。すみません、すみません、すみません。でも読まずに☆つけられてもあれっしょ? そういう社交辞令はしない主義なんです。なので読まずに☆つけてる方いらっしゃいましたらご遠慮願います。お返しできないから。

 さておき、ネット依存。わたし依存してるかっていうと、してる方だとは思うけど、携帯もPCもほったらかして昼寝・映画・アニメ鑑賞するぐらいだからそうでもないのかなと思ったり。人間関係のややこしさは、ざっくり言うと人間の未熟さだと思うんですよね。そりゃわたしがソロリストだから思うことなのかもしれないけど、結局「対する」ことができる人って一人ずつでしょ。例えばAさんとBさんがもめたとして相談に来られても、どっちともの話を聞いて「はいはい、一旦は、喧嘩両成敗」にはなるわけですよね。ならんときは個人的な何かがあるわけだから、AさんかBさんと貴方と三つ巴、ではなく、AさんかBさんと、貴方ということですやん。「対1」でしょ。

 とはいえわたしにはネッ友もいて集まってぐだぐだ喋ったりもする。それはそれで面白いアンサンブル。こいつらは年齢も性別も住んでるところ仕事もバラバラだから面白い。でもそれぞれと個別に話したりもする。それもそれでおもしろい。少なくとも、彼らとやり取りする時間、もしくは遠くの友達とメールのやり取りする時間、すべて義理でも義務でもないから無駄だと思ったことは一度もない。

 中学時代、部屋にテレビがなくてラジオで過ごした。でも学校の行き帰りで一緒になる友達たちが話すのはテレビの話題ばかりだった。見てないからわかんない。興味ないから知らない。見て話についていこうと思っても、どうにも面白いとは思えない(いや、良いドラマもありましたよ)。ドラマのために宿題を早く終わらせて母屋に行ってわざわざテレビの前に座り、その時間のラジオは録音しておく、そのことがバカバカしくなって以来、テレビが必要ない生活になってしまったんだな。映画はさすがにテレビで見ますけどー。自分ちだったらPCで見ますけどー。

 そうか、わたしは逆にテレビに縛られるのが本当に心底憎いほど嫌なんだな。録画しておいて後から見たらいいじゃないとは、今時のハイテク機器を操れる人が思うことでしてね、20年ぐらいお暇しているとついていけないんです。ウソです。ホントは使えます。でも本当に必要な情報以外、無駄に頭に入れ込んで必要なものが入らなくなるのが怖いだけかもしれません。

 音と光の洪水だよ。どうせならいいもの浴びたいじゃない。