開店休業

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 一遍読むたびに閉じで思いをはせていたら、一日が終わりましたよ。死ぬ間際まで「吉本隆明」を貫いたかっこよさ。こんな風に生きたい。

 基本的には彼の記憶の味についてだ。味の記録ではない。だから深くてちょっとおかしくて切ない。

 まだ「老い」を体感していないわたしからすると、いつ味覚が記憶になるのか想像がつかない。ただ、作中で「最近のほうれん草は美味しくない」と書かれていたところは激しく納得。アクが弱いから食べやすくなったけれど独特の甘みとちょっと早くあげちゃったときのエグみがさらさらないのだ。わたしは人参もそうだと思っている。今の人参はわたしが嫌いだったころの人参じゃない。もっと土臭くて、妙な甘さがあって、そのコンビネーションが絶妙に大嫌いだった。

 父のエッセイの後に長女のエッセイが続く。解説と言うわけではない、彼女の文章で彼女の思うままに書いているのだと思う(客観性が必要って最後には書いていたけど、その客観性の持ち方がまさしく「吉本隆明」だなあと思った)。家族の記録は温かい。そしてやっぱり、ばななさんに似ているなあ。さすが姉妹だ。羨ましい。

 母乳のところを読むと、絶賛育児中の妹を思い出す。長男は断乳が早かった。むしろ母の方が切なくなるくらい早く、しかも離乳食を必要としなかった。しかし次男はなかなか離れず「パイーパイー」と手を突っ込んでいた。そのたびに妹は「パイはなくなりましたーぺったんこでーす」と言っていた。そして「おばちゃんのパイは?」と振ってきて、わたしがパイをまさぐられ「違う」と言われるのだった。なかなか切ない体験です。今は三男が独占しています。早朝4時、薄暗い中、生きた屍のように座って寝る妹、パイでお腹いっぱいでうほうほおしゃべりしている三男、この風景はしばらく忘れられないでしょう。怖いっ!

 わたしの母乳の記憶だが、当然ない。母子手帳を見る限り、運動神経以外は普通に育ったようだ。でも、本書に書かれていたように、ご飯をたくさん噛んだ甘味のある、でも少ししょっぱさ、それは恐らく血の味に似たもの、が最初のご飯なのだろう。

 その時々の味は二度と戻ってこない。毎食大事に食べようと思いつつ、実家に帰ってから両親が太らせようとするので、実家を離れたら断食しようと思います。