僕が落語家になった理由

僕が落語家になった理由

僕が落語家になった理由

 ご縁があってお借りしたサイン本! 煙草と遠いところで読んでました。普段は小説を好んで読む私も、ときどきこういう本を読む。すごく真面目に、しかし下手な日本語で書いてます。でも普段使ってる日本語なんてこのレベル。あるいはもっと下。誰かに何かを伝えようと意図して書く手紙とは違うんです。これはひとつの区切りを迎えた人の、素直な独白です。

 噺家さんはお話し上手、とも限りません。日々は黙ってらっしゃる方もいる、ずっと喋ってる人もいる。スタイルは様々。しかし、舞台に上がったその瞬間、プロにならねばならんのです。資格試験じゃないから「何点取れればOK」ではない世界。ストイックでなければ足を運んでもらえない。申し訳ない、そういう気持ちを持っている人たちが、世の中にはいるのだねと、妙にしみじみと。

 芸能人のぶっちゃけ話のような本ならば読まない。そこまで興味が持てる他人が少ない。でも、新しいことに四十歳からチャレンジして、素直に「弟子の仕事をするのに躊躇した」と言える人、どれだけいるだろうか。下手に出るのは簡単だけど、それってやっぱりプライドを守るために下手に出ているわけで、この人はそういうことナシで、えらい素直な人やなと思った。

 私は小説が好きになると作家のことを調べたりする。言ってることが違う人はそれを知って以降は読まない。結局人が好きだから作品が好きになる。林真理子先生だけは別ですけど。男性では村上龍かな。月亭方正さんは人が好きになった。ただし、彼の好む演目と私の好む演目が違うので、ご縁があれば行くだろう。年齢も近いし感覚も近いので素直に応援できる人だ。

 ただ、古典についての考え方はやはり落語ならではだなと思う。突き詰めれば全てそこにたどり着くのかもしれないが「古典という大船をお借りして」というのはため息が出る言葉だった。