鈴生りは喜ぶべし

 連日みかんをもいでおります。摘むとかじゃない。「もぐ」です。でも「ちぎる」じゃない。片手でしっかりつかんで、軸を確認して、切り取るパチン、仕上げのパチン。我が島はその音であふれています。こんばんは。

 今お手伝いしている畑は「表年」ということで、実りが多いのです。一昨年の父の記録では6トン8トン程度収穫できる予定。合ってるよね!? 娘は暗号のような父の記録を読み切れませんでした。でも多分それぐらい。もうちょっと、少ないかも。

 鈴生りに実った枝を前にすると、正直「げんなり」します。本当に「たわわ」としか表現できないほど重く垂れさがった枝。実をもぐたびに枝があがっちゃうんですね。素直にやってたら届かなくなっちゃう。「まだこんだけしかもいでないのに届かない」と思いたくないから、私は裏側に回って「たわわ」を見ないようにもいでるんです。ポーンって枝が上がったら終わり。こつこつやってりゃいつかは終わる。

 しかしそんな娘を見て母は言いました。「どこそこのおばちゃんは『こんな見事なみかんがもげるならお金を払わなきゃいけん!』って言うぐらい、いいことなんだから」そうですね。こいつらが私を学校に行かせてくれたのだ。そして美味いのだ。美味いのは正義だ。

 一度に全部収穫できるわけではないので、車二台、午前中に一度荷下ろしに行きます。そのとき一緒に下山するのですが、父は通りがけによその畑も見ます。だいたいみんなそう。遅れていたら心配するし、早かったら「頑張ったなあ」と言うわけです。儲けがどうのとか、全くない。「あそこは表裏もなく綺麗に作る」と言った畑は綺麗なんだと思う。娘は分からん。「表裏なく作れるもんなの?」と聞いたら「できるよ、やろうと思えば」と言う父。でも「できれし(できるだけ)やって、できただけよ」と付け加える父。でも毎年、最高を目指している。今年「最高」ができなければ、来年「最高」にすればいい。

 いちいち振り返って正面を見て「どれぐらい進んだ」とやっていては心が萎える収穫作業。しかし生産者にとっては一年の結晶でござる。なので一篭終えるたび「よくやった、よし、次」とぶつぶつ言っている私。祖父の姿と同じでござる。