恋愛ごとは書きません。こんにちは。絶賛発熱中です。だから少々誤字脱字があってもいいんです。いいんです! ちょっと所用があって起きてるだけです。終わったら寝ます。チキショー!
「伝わる言葉」とかタイトルにしようと思ったけど、胡散臭さが増すので止めました。別段あたしゃ伝えたい人に伝わればいいもん。100人が100人とも同じように感じる言葉なんて意味がないと思ってるもん。
小説が好きです。小説が好きだけど、それを書いた人物も同時に好きになることが多いです。昨日谷崎の春琴抄を読んだのだけど、数ページ進んだだけで「あれ、この人の思考回路、頭を壁に殴打されたように偏ってるな」と思う。その偏りっぷりがいいんです。
個人的な見解では、谷崎は全大衆に受けようなんて考えてなかったと思う。ただ、時代もあり受ける人にはすごく受けた人であったと。ある意味では今よりミーハーだった時代だなと思うので、三島が絶賛したから三島ファンも! とかあったんだろうなと。
芥川の「蜘蛛の糸」は絵本で読んだ。なんて気持ち悪い偽善の押しつけと思った。その後、いろいろで読んだけど、偽善の押しつけではない、問いかけなんだなと思った。けれど日常が、ない。私は日常がないストーリーは身近に感じられなくて、教科書を読んでいるような気持ちになる、だけなんだ。だから「好き」「嫌い」ではないんだな。
私からすると、谷崎の文体はとても親切である。くどくどくどくど長いよ一文が! と思うけど、その独特なリズムから伝わるものが大切。芥川は不親切だ。何度読んでも同じ読後感。それはそれですごい才能だけど「うん」としか言えない時点で「不親切」なんだ。
さっすがにまとまらないね。要するに、相手と自分の関係をどれだけ理解して伝えられるか。それが大切ってことです。人間関係は温度。歩み寄られたことがないから歩み寄らないって言ってると、ずっと孤独だ。それで満足なら口出ししないけど、せっかくこれだけ人間がいるんだから、私はいろんな人とコミュニケーションしたい。私の場合、言葉がそれにあたるのだけど。
妹ちゃん、ついに六花亭のバターサンドを再現し始めました。「1個のバターサンドに何個のレーズン入ってると思う?」って知らないよ。でも、ないから作っちゃえというのは、母の精紳を引き継いだようです。
母:野菜がない? なら作ればいいわ!
妹:バターサンド食べたい。なら作ればいいわ!
姉:ベーグル食べたい。なら作ればいいわ!
父は今年、牛蒡が折れずに掘れたそうです。よかったね。