【対談的インタビュー】回答、ありがとうございます。楽しませていただいています。さて、cimacoxさんの回答を読んでいますと、「ひきこもれ」という本の題名をたびたび見かけます。心の名著なのでしょうか? さらに今回は青春時代の話も出ましたね。とのようなわけで、cimacoxさんにはそれを踏まえ、青春時代の話をしていただきたく思います。「『ひきこもれ』意識して考える青春時代について、語っていただけますか?」どんな回答でもお待ちしています。
インタビューありがとうございます。常々くどい人です。
*心の名著なのでしょうか?
そうですね。わたしの「心の名著」は多すぎます。かといって価値は下がらないのだけど、あんまりあるとただのミーハーですね。
*『ひきこもれ』意識して考える青春時代について、語っていただけますか?
おおふ、まさかこのアプローチとは驚きました。名著を意識しての青春時代。難しいですね。先の回答で引用した部分を使いましょう。
「青春期の、生命力と可能性がたっぷり残っているときの方が、生に執着しないところがあります。」
有り余るものを手にしているとき、若かりしわたしはそれに限界があることを知らなかったようです。物事には限界があり、最初から持ち合わせない人と途中で失う人とがいる。このことを体感したのは青春期を過ぎてからでした。青春期は概ね幸福で不器用だったということです。失うものを見落とすぐらいに持っているものがあり、手を焼いていたのです。
サリンジャーのライ麦畑で捕まえては14歳ぐらいのときに読み、18歳ぐらいで読み、20代半ばでも読みました。去年も一応読みました。でもいまいちわからない。わたしはロストジェネレーションと言われる世代の小説はことごとく「わからない」のです。それは主人公あるいは作家が男性だからじゃないかと思っていました。しかし、思い返してみればホールデン・コールフィールドくんぐらいひねくれていたかもしれない、と思う。表出の違いはあれど怒っていたかもしれない。怒り疲れるということ知らなかったから。
ということで、いつもなにかにぷりぷりし、眉間にわざわざ縦皺を寄せ、薄明かりの下で古書を片手にせっかちにライターをかちかちいわせていたように思います。灰をキーボードに落としてはムキーっとなりながら、PCにかじりつきでした。
もしかしたら今も青春期かもしれません。でも終わりのないものはない、ということは分かりました。少し大人になりました。
今回も長々と読んでくれてありがとう!