生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

出生前診断についてどう思いますか?

 高齢出産確定のわたしには非常に悩ましい問題です。これは間引きと言われるものになるわけで、それを決定する権利が親である自分にあるのかと問われると非常に難しいのです。

 子は親を選べない、と言います。本当です。乗り越えられない試練は与えられない、という考え方もあります。これも本当です。でもどちらも、考えようによっては、です。現実それだけでは片付けられない問題も山盛りです。

 親は子を選べるのか。極論を言えば選べるでしょう。例えば遺伝子異常の子どもだったとして、生んで、育てて、くじけて、二人ともダメになる。あるいは生んで、育てて、向き合えて、二人とも成長する。どちらに転ぶか最初から分かっていることでしょうか。わかんないことだとわたしは思います。

 倫理を持ち込むとどこまでを人間と呼ぶのかという問題になるんだと思います。わたしは無機質なものであっても、それが生命であれば、生命と呼ぶに等しい価値がわたしに見出せたら、それは生命と呼びます。コンピュータだってものにもよるけど生命です。こいつの電源を切ることは、わたしは簡単にできること。ただ、このコンピュータが命令されていることを純粋に遂行している最中であれば、わたしは生きてると見なして電源を切らない。お腹の中にいてまだ臓器もろくにできてない豆を生命と呼べるのか。わたしは呼べると思っています。自分じゃない別の生き物です。彼らが生命を始めているんです。それはわたしの意思とは関係なく始まっているんです。

 どこかで読んだんだけど、母体と子供がどっちも危ない状況だったとき、父は子どもを助けてくれとお願いし、母は死に、子どもは生きたという話し。ぶっちゃけ母予備軍の女からすれば「お前ふざけんなよ、自分の遺伝子優先かよ」と思いました。でも時と場合によりけりですよね。母が不治の病で余命が短いことが確定していたら? 考え出すと止まりません。

 だから考えません。そのとき、その瞬間、必要だと思ったら出生前診断すると思う。高齢出産だし若干ペナルティがあるからまずするでしょうね。でもそれ以降の決断はそのとき決める。

http://theinterviews.jp/cimacox/5024514