ことり

ことり

ことり


「ことり」わたしは小父さんが規則正しく、小さくつつましく動くたびにこの音がした。タイトルは小鳥ではなく「ことり」なのだ。

 作中に別のことりが出てくるが、そこはもう、なんというか、世間とはそういうものだという表れで、それは正しいのだけど哀しい。

 小川洋子さんの作品にはすべてに「生きるものの気持ち悪さ」みたいなことが書かれていると思う。生きてるものは温かい。その気持ち悪さ。

 小父さんの人生はひどく淡々とぱっとしないまま冒頭から終わる。しかし、彼の人生が充実したものでなかったと誰が言えようか。兄を慕い、状況を正しく判断し、鳥を愛し、ポーポー語を操るようになった。わたしは自分の人生でこれだけのことができそうにない。

 ポーポー語とは兄が人間に通じる言葉を放棄して体得した言葉だ。日本語でも英語でもないそれは空虚さを感じずにいられない。言葉が通じなければ役割を果たさないと、固い頭は思いこんでしまっているから。しかし恐らくポーポー語を使い、母と会話がかみ合わないなりに、彼は彼の思いや内面を弟に知らせ、自分に響かせ、鳥を愛でていた。孤独が怖くなかっただけで、名もない色彩鮮やかな美しい絵を見ているような気持ちになった。

 誰から見て幸せか、やはりそこに尽きるのだけど、わたしは小父さんもお兄さんも幸せであったと思う。彼らはまるで鳥かごのような家と職場だけにいたが、それは自由を奪っていることにはならない。昔インコを飼っていた。すごくなついた子は入り口を開けても出なかった。彼にとってそこが最も安全で自由な場所であったんだろうと思う。そういうことなんだ。わあ、なんて広々とした空だ。飛んでいるようだ。

 一番沁みたのは小父さんの父の死の描写だった。39ページ。

遺体を確認した時小父さんは、海水パンツはとうの昔に息絶えたのに、何かの手違いで置き去りにされていた体が、ようやく本来あるべき場所にたどり着いたかのようだ、と思った。