cimacoxさんが今の文章力や感性をどのようにして手に入れたのか、語っていただけますか?

 非常に難しかった。わりに考えていない。
 インタビューありがとうございます。文章力・感性、どちらも非常に説明が難しいですね。なぜならそれを持っていると思えないからです。自分のそれは貧相で汚れたネズミ、ミッキーマウスは部屋にいたネズミから発想を得たとか。どんだけ不衛生なんだよと突っ込んだわたしはアンチディズニーです。

 さて、文章力ですが、本当にこれは漠然としていてですね、どのように説明したらいいのかわかりません。なので今日はここで好き放題書いてるときのことをお答えさせていただきます。考えてることそのままです。まる。だけ! だけか! そんなに難しい人間ではないということです。

 あまりに素っ気無いので最近地味に書いた小説のことでも書きます。それはできた数日前は「なんとかラストまで」と思っていました。数日経って幾人かに読んでもらって手厳しいご指摘を頂いた後の今、墓穴を掘りたいぐらいの気持ちです。いや、掘りかけて、途中で「あー違う、やりたことは違うんだ」と立ち止まっている気持ちです。文章も芸術も音楽も、ある意味では似たようなところがあると思っています。装飾こそ美か、欠落こそ美か。それをどうとらえるかは個性ですから。

 というわけで、文章力はかなり読み手にゆだねられていると思っています。想像力のスイッチを上手く押せるものが書けたらいいな。

 たぶん、読んだ本の感想文を書くときが一番力強くひねり出していると思います。読後感を正しく記録するために。その読書感想文を読んだ自分が、読み終えた自分を思いだせるように。そんなところです。

 感性はだいぶずれているようでして、昔は随分苦い思いをしました。いつも少数派なわけじゃないんですが、そういうことも多くって、大事なところで少数派みたいな感じで、出すのが怖かったんですね。「えー普通じゃないー」っていわれるのが怖かったんですね。でも最近は、それほど自分が他人に興味を持ってないように、他人も自分に興味持ってないだろうと思ったら、ええわ、好きに出したれと思うようになりました。

 感性、どこから来たんでしょうね。母親も「あんたのズレ方はようわからん」と言います。八日目の蝉の映画を見て大激怒したんですよ。はははー。そういう感性です。昨日見た「永遠のハバナ」はすっごい、すっごい、すっごーーーい、好きです。マジでなぜ今まで見てなかったと思うぐらい。

 感性ってわたしすごく貧相なんですよ。純粋な感性のみでタルコフスキーが見られないんです。ああ、あの神経症な女たちが気に触る! 頑張ってもソラリスまででした。ね、貧相でしょう。逆にあるから見られないんだよ、という発想もありますが、でも最後まで見られないんだから最後まで見た人より受け取るものが少ないって点で、貧相なんだろうなあと思います。

 うん、昨日映画見たから映画の話してるね。ごめんね。

 考えようによっては被害妄想や強迫観念の一種かもしれません。人の気持ちが分からない人だと言われたことがありまして、それ以来「自分だったらどうだろ」と考えるようになりました。随分昔の話です。子供って残酷ですよね。それはさておき、ただ繰り返される日常会話からヒトラーの演説まで「自分だったらどうだろう」と考えるのです。全部やるわけじゃないけど、引っかかったらやってみる。そしたら「ああ、同じだわ」とか「うわ、それは出てこないわ」とか「じゃあいかにしたらそういう発想にたどり着くのか」とか考えるとですね、多分こういううがった人間ができあがるのだと思います。簡単にぶっちゃけると「その人じゃないから本当のことは分からない」なんですけどね。分かりたいと思うんです。同じ人間だから少しぐらい歩み寄れるだろうと。

 あまりよい参考になりませんでした。すみませぬ。だいたい通常クオリティの的外れっぷりだと思います。ごめんなさい! しかし、本当に才能に溢れている人は大変だろうなあ。できることがたくさんあったら、わたしは絶望して首吊りそうです。よかった、いろんな意味で。

 では!