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手紙とは何か

手紙(てがみ)とは、特定の相手に対して情報を伝達するための文書のこと。信書(しんしょ)、書簡・書翰(しょかん)、書状(しょじょう)などとも呼ばれる。古くは消息(しょうそく、しょうそこ)、尺牘(せきとく)とも呼ばれた。

 Wiki先生の冒頭より。要するに、情報が伝わればいいわけだ。

 最近手紙をしたためることが多い。時代は逆行も甚だしいが、下手くそな字で手紙を書くのが楽しいのだ。おかげでムダに文房具が増えた。整理さえも楽しい。

 手紙は難しい。小学生ぐらいの頃であれば「日記」みたいなものを送りあうだけで良かった。双方「素晴らしきかな自己満足の世界」である。しかし、今、私が書いている手紙は、少し違う。何通か手紙を書くたびに「手紙ってなんぞや」と思ってから、かなり難易度が上がったように思う。

 私は手書きよりタイピングの方が速い。もちろん圧倒的に明朝体の方が美しい。だから手紙も印刷で済ませちゃえばいいじゃない、と思うこともあるが、やはり今は手書きがいいなあと思う。字は本当に下手くそなんだが。だから送りつけられた方々、まことに申し訳ない。いや、謝罪はいいとして。

 前述の「手紙とは何ぞや」の今の答えは「今、ここで手紙を書いている私が、手紙を開くたびに甦ればいい」と同時に「読んで感じてくれたら捨ててくれたらいい」だ。だからすごく難しい。今の自分が伝えたいことは、今の自分が把握できていないと、つらつらと出てこないものだ。

 考えすぎるクセがあるので「ああ、こうしている間にも細胞は死んでまた生まれている」とか悶絶する。きりがない。きりがないので結局「ええい」と書いてしまう。ノートやメモ帳に下書きしたことと全然違うことを書いてしまったりもする。しかしそれが正解だと思って封をする。少なくとも封をした瞬間に「今の私」は閉じ込められるわけだから。

 私は大人数のコミュニケーションが極めて苦手だ。一対一ならばいくらでもできるのに、大勢でわいわいというのが非常に苦手だ。そんな私にとって、手紙は読む相手を思いつつ、自分も省みつつ行う「書き物」なのでとても楽しい。

 実は出していない手紙がいくつかある。ブームが去ってしまう前に郵便局に行ってきます。おわり。