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つれづれなるままに

 タイトルで始まるのは吉田兼好著「徒然草」です。”清少納言の「枕草子」、鴨長明の「方丈記」と合わせて日本三大随筆の一つと評価されている”そうです、こんばんは。

 思うに「つれづれに」書き物をするというのは、今と昔では随分違うものではないでしょうか。今ならパソコンの前に座ってパソパソすれば「つれづれ」かもしれないけれど、昔は思いつつ墨を磨って風景を見て、あるいは紙を眺めて、筆を浸し、さて、と改まって書いたわけですよ。書き損じたらがっくりですよ。だから徒然草の序文も相当素直だけども練った謙遜である上に、なんだか退廃的な香りがして好きなんですよ。

つれづれなるまゝに、日ぐらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ。

 私はあまり性格が「良好」ではないので、ときどきとても皮肉に満ち満ちた表現をしますが、人に対してするときは「もう嫌われたってかまわない」と思うときだけです。嫌われて嫌いになろうとするのは恋愛ぐらいです。これはとてもずるい方法なので手段としてはお勧めしません。恨まれるぜ!

 恋愛はさておき(今年の恋愛運は終了しました)。

 枕草子でも徒然草でも、言葉を記す時には大なり小なり考えて書いていたと思います。未来永劫残るものだから! ぐらいの気合はなくとも「書いたら消せないし」ぐらいは考えていたのではないかなと思います。今はどうだろうと考えます。

 発する言葉も同じです。これは自分への警告でもあるんですが、発した瞬間に生まれるものであって、消えるものではないということです。音楽も同じだと思います。私は音楽の始まりは口承、伝えること、残すことを目的としたものだと思っているからです。

 そう考えてるので、最近なにをするのも亀の歩みの如きスピードです。仕事では「平等に伝わるもの」「タイトで美しいもの」を残したいので、理想が高いんだなきっと。日常に近いここは、ゆるくてすみません。明日からダイエットします。

 ではまた! 本読んでない! ぎゃー!!