生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

癒しってなに

 見えないところでいろいろお試ししていたんです。昨日。別口で、一昨日からいろいろ考えることもあって考えていたんです。昨日。もう、おはようございますでいいですか。今日も一日は長い。

 適材適所とは正しい言葉で、私は苦手を克服したつもりでいたけれど全然、笑っちゃうぐらいできていないことが分かってしまって、なんとか取り返したいなと(別のところで)いろいろ考えてみたんです。ショッボーーーーーーーン。うん、人には得手不得手以外にも「魅力」とか「特技」とか、なんかあるんだと思うんだよ。

「私コミュ障」なんで、で逃げるつもりはありません。「やや、とっつきにくく、シールドが理解され辛い」だけだと思います。だったら治せばいいじゃない。治すわけないじゃない。治さないわよ。ちょっとは努力するわよ。

「存在するだけで癒し」という人がいます。実際に近くにいるから「なるほどねー」と思います。なんかね、男子から見ても女子から見ても性的でなく「かわいい」んだよ。「癒されるー」っていうのは俗語で、正しくは宗教学の、キリスト教だっけ、なんかそんなところからきてるんですよ。「安心する」とか「落ち着く」とかそういう、ざっくり。

 人生で一度たりとも「お前って、癒されるわ」といわれたことがありません。もうこうなったら自慢です。恐らく2歳ぐらいまでは癒しな存在だったと思うよ。妹ちゃんが生まれる前だからね。ヤツがぷりっとひり出てきてからは「姉の義務」でなんかはりきっていたので、結局それを引きずってるんだろうなあと思います。

 人はだなあ! できることだけ頑張って「やったぜ、オレできるし」って言ってても成長しねんだよ! なんて修造みたいなこと言ってるとですね、きっと早死にしますよ(暴言だ)。

 人間って案外しょうもないことが好きですよね。アメトークとか。私見ないんだけど。そういうのを「笑いのツボ」っていいますね。まぁ、若干故障していたとしましょうね。でも人間ちょっと地球的に困るぐらいいるんだから、同じぐらい故障しているか、もしくはツボのツボの人がいてもいいよねーと思うんです。

 もうね、決めた。しばらく「大丈夫」って言わない。