生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

押入れの底からこんばんは

 一昔前の映画のタイトルのようです。こんばんは。珍しく夜に更新です。なぜって、なんだか寝るタイミングを逃したので。といっても、ごろんとしてれば寝るんですけど。ははは。

 似て異なる言葉は多いもので、引っ込み思案は恥ずかしがりや、ではないんです。引っ込むことが好きな人と、恥ずかしがりやさんがいるだけなんですよね。ほかにもあると思うけど眠いから割愛(じゃあ寝なさい)。

 いやね、塩鯖ダーリンはぜんぜん違う生き物なのでときどき持て余すのです。えらく遠くの生き物だなあと思ってしまうんです。よくそんな明るいところから、こんな暗いところが見えたなあと思うのが正直なところです。

 人の種類は大きく二つに分かれてて、それは太陽で溶けるタイプと太陽で育つタイプじゃないかと思うんですよね。きっと太陽で育つタイプは植物を見て、太陽と水だけで大きくなる姿に「たくましいなあ」とあまり感じないんじゃないかと思うんです。だって自分もそうだから。逆に、前者のタイプだと「たくましいなあ」と思う。逆だから。

 人が嫌がる仕事をしてるとですね、評価が上がるなんてうそです。気に留められなくなるだけです。でもそれが居心地がいい人っているんだってことは、あまり理解されないような気がします。なんだかね、なんでも表に出してアピールして、あるいはアピールしてあげて、認められることが良いことだとされている社会に意義申し立て奉る候。日本語おかしい。

 シャーロック3の1でね、人の目を気にしない変わり者が必ずしも引きこもりではない、なぜなら「人の目を気にしないから」だ、と言っていてですね、そうですよねーと思ったのね。引きこもりと変わり者は違うけど、まず最初に「そんな変わり者なら友達が少ないだろう、だから引きこもりがちだろう」という発想がナチュラルに出てくるって社会の問題だよね、と思ったんです。ガイアの夜明けを見て特にね。

 昔の工場って何でも手作業で、手作業だと均一でないから機械化されて、無駄を省くとゆるみが消えて、できあがったものもサービスもゆるみ分の温度が感じられなくなったから、今また再び人ならではのサービスを、という流れのようでね、その回帰はぜんぜん回帰じゃないじゃんー、はた迷惑、と思ったパンクな脳みそです。その発想だと機械化された人から出るものと違いがないから。機械のほうがきっと完璧だけど完璧だから冷たいなあと思うなら、故障が多い人間が出せば否が応でも温度ができて、きっと今度はその温度がいやだーってなるわけで、そういう分量って球体の中を移動する水みたいなものだから、完璧な均衡って故障した人間では出せないからね。

 でもニーズがある以上、社会は動き続けるんだよね。人はあんまり動かないし変わらないのにね。

 ときどき日の目を浴びるのは新鮮かもしれないが、帰る場所、それは押入れの底だったりするんだけど、ともかく確保しておきたい冒険心の少ない好奇心旺盛な人でした。人間はみんな自分勝手だ。

 押入れってまるでジョゼ虎、美少女じゃない自分なのでただの天邪鬼ですが。いったい彼にはどういう風に見えているのか、きっと永遠にわからないような気がします。

 分析されつくしてストレスフルな白と黒の世界にバックドロップ。久々にこれを読みたいなあ。

ぐるりのこと

ぐるりのこと

ジョゼと虎と魚たち (角川文庫)

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