生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

写真がハオさんしかない件

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 みっちり。おはようございます。ものから入る姿勢は変わりません。これだけ集めたらさぞかし世話が大変だろう、と思いたいけれど、触らないほうがいいのが多肉。すでに触りすぎていると思う。なので向こう1週間は触らない。

 とかいいつつ、今朝は花をひとつ落としてしまいましたが。動かしすぎだよ。

 ゴールデンウィークだからこそやるべきこと。それは植物の世話。ここ2週間で突然植物が増えたりめきめき大きくなったりしたので、土の入れ替えをしようと思った。土といえどさまざまある。今までは観葉植物が多かったので「観葉植物の土」を使っていた。しかし枝豆さんやトマトさんはそれでは栄養不足であろうと「腐葉土」にした。腐葉土は落ち葉なんかが発酵したやつでして、栄養豊富=虫にも快適ということで、コバエが発生していた。コバエなどの害虫は、私はさして気にならない。しかし、塩鯖は飛ぶ系の虫に殺意が芽生えるようで、私には見えない敵と戦っていた。なので土の配合を改めて見直した。あわせて多肉さんの土の配合も真剣に考えた。

 で、昨日。培養土14Lをゲットして帰宅したのだけど、きっと間違いなく腰をやられた。いててて。普段肉体労働していないのでコツもなにも分からんまま「よっこいしょ」と持ち上げたり、変な姿勢から「うんとこしょ」と担ごうとしたりしたのが災いしたようだ。ってゆーか当たり前だよ。いててて。

 で、昨日中は多肉さんたちをどうにかして断念。今朝も腰が痛いのでやめておこうと思ったが、いや、ポトスさんだけでも入れ替えようと痛い腰を上げたのが運のつき、モンステラまで引っこ抜いてしまったジーザス。

 なぜジーザスなのか。それは飼い主の私が一番よく分かっていた。2,3年放置していた鉢なのです。ということは、根っこがすごいんです。見事に鉢のほとんどが根っこでした。うん、抜けなかったもんね。

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 しかし、根っこがすごいというのは喜ばしいことだ。鉢植えの子が大きくならないのは根っこがダメになってて成長できないからか、命一杯大きくなっているからか、どちらかだから。なのでこれは万歳とも言うべきだ。

 鉢から抜いてからの根っこチェック。これは大好きなのでじっくりとやったけれど、どれもこれも健康な根っこ。生まれたばかりの根っこもある。おおお、すごいねえ。生きてるねえ。ベランダで土にまみれてこってり観察したところで、鉢を買いに行かねば。戻そうにも戻せないサイズになっておりました。

 植物は生きている。人間は圧倒的に強者だ。本当ならそこに生えない植物を、人間の都合で持ってきて植えて育てといっているのだ。なんというエゴ。可愛がってたって植物にとっては迷惑が基本だろう。だから私は、植物がゴージャスにわがままに自由にできるように育てたい。そしてできれば私が自由にいじくり倒したい(ここ重要)。

 うちの母は「ほったらかしよ~、水だけやるのよ~」と言うけれど、実際はけっこうまめに手入れしている。ただ、我が家の近所の人はもっともっともーっと手入れしているから「だけよ~」と言うのだ。それを見て育っているので、育成方針が塩鯖と少々ずれていてちょっとドキドキする。基本的に譲ってくれるから今は良いけれど、いつの日にかデンドロビュームもリカステも、なにもかも、地植えにするだろう。地植えにされると「私の子(植物)たち」ではなくなり、野生化した外来種になってしまう。見るのは楽しいが、世話など絶対にしなくなる。それは寂しい。

 この広い世界では、私なんて害も得もない存在だけれども、なにかひとつでも私という存在を必要とし、肯定してくれる存在が欲しい。あるいは、手中で再現して神を気取るか。どちらにせよ、所詮人間も群れの生き物なんだな。

 しかし腰が痛いんですけどね。どうしよう、これにいこうと思ってたのに。鉢も手に入れねばならんのに。

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