生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

随分とご無沙汰

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 わかな、というバラです。おはようございます。

 ちょうど一週間前、近所のバラ祭りに行って衝動買いしました。綺麗な色だ。花もちがいいと書いてあったが、開くのに時間がかかるからだと思われる。でもそういう種類なんだってね。バラってたくさんあるんだね。

 元気にいろいろしてました。家の改革が起こっているんです。なんかこう、家らしくなってきてすごいのよ。まぁ、私は大きな想像力がないので塩鯖任せですけれど。ごめんね塩鯖。ありがとう塩鯖。

 バラ祭りは行きしなで、ボタニカルアート展が本命の行き先でした。ボタニカルアートの歴史、本当にすごい、美しい、狂ってる。勢いにしてはやり過ぎだと思うキューガーデンができるまで(キューガーデンの歴史ではない)、テラリウムの元祖からテキスタイルデザインと幅広くさまざま展示されていて本当に楽しかった。

 なんにせよ、イギリスの「凝った」部分は行き過ぎていてすごい。数人の狂人(惜しみない賛辞)と多数の協力者によって世界中のものを集めちゃうんだから、そして環境を作って育てて自分ちに適用させたりして、もう私の貧相な想像力では追いつけない。彼らはどこに行こうとしていたんだろうか。そして今なお、どこに向かっているのか。

 ボタニカルアートで私が勝手に見所指定しているのが、色の正確さ(といっても当時のそれを見ることはないので、いかに息吹を感じられるか、ということになるが)と、紙の隅っこにでもいいから花から実へ、そして種子へとの変遷を輪切りとともに書かれているか、というところだ。いろいろ考えていると「なぜ」がたくさん生まれてきて、その答えの仮定も生まれてきて、最高に楽しい。今は調べようと思ったらスマホですぐに答えを導き出せるけど、もんもんと絵の前で想像するのが、この錆びた脳みそにはよい刺激なのだ。

 帰り際、彼らにはまだ未知の世界が開けていた300年前、と思ったが、きっと未知の世界は今なお開いているんだ。見えないのは私だけだ、と思ってちょっとやるせなくなった。

 うちの家庭菜園は順調です。ええ、未知の症状に悩ましいです。特に多肉の放置っぷり&すこぶる調子よさげなところとか。かまいたいよう。

 そして多肉を放置しようと決めたらほかの子たちも放置気味になってどっひゃー!なので、今日はちょっと園芸の日です。