生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

アンドロイドは棚板不足にどう立ち向かうのか

 豆腐メンタルの私は、じゃあ作ればいいじゃない、とは思わない。DIYは絶対に才能とセンスが不可欠だと信じています。こんばんは。今日は塩鯖が午前様の日なので晩飯も作らずぐだぐだと。

 本棚、いいやつを買ったんですよ。「まさに本好きのための」なんて書かれてる。扉があると汚れないからいいよねえ。

飾れるディスプレイ扉付きスライド書棚(モスビー)

 この本棚に本を詰め込んだところ、棚板が足りない。否、お前が詰め込みすぎだということは分かっているんです。でもね、ついつい本の高さぴったり気味に、詰め込めるだけ詰め込んでしまえという貧乏性が発動しまして、4枚ほど足りません。逆に文庫コーナーは余ってる。そうだね、単行本が多いんだね。でも趣味は単行本集めなんだよね。というわけで棚板を購入予定でネットをうろうろしていたが、近場のホームセンターあたりで足りるんじゃないかと思って中止。もうひとつ、10年以上使い続けている(当時)白いスライド本棚@扉なしはダボが行方不明です。ついでにダボも探しに行くか……。

 帯に短したすきに長し、とは違うよなあと思いつつ、棚に乗らない本の山を本棚の奥に作るのでした。

 少し前のニュースで、アンドロイドやAIが人々の暮らしに役立っている反面、このまま進むと65%の人の仕事がなくなってしまう、と話してました。分からんでもない。製造ラインが機械の仕事の時代は昭和の話で、きっと「人でなければ」という分野にこそAIは入ってくるだろう。

 もし、お店で購入したものに不具合があってクレームをつけたとき、不愉快な人にあたったら「モノもハズレ、人もハズレ。今日は運がなかった」と思うだろう。でも、相手がAIだったら「イラッとした自分の心が狭くなってたかも」と思い反省するかもしれない。平和の連鎖、しかし心に澱のようなものが残りそう。逆もありえる。人の方が「良かったなあ」と思えることだって絶対にある。

 近い将来、AIはきっとすごく細かくて平等な「親切」を身に着けるだろう。それは脅威なのか喜ばしいことなのか、ニュースを見ている最中は判断できなかった。

 ニュースではコンピュータに勝った将棋の名人(誰か忘れた)が出ていた。「将棋の訓練の一環で日常生活でも先読みを心がけますが、うまくいかないですね。日常生活は将棋のようにルールがないですし、人間は予測不可能ですから」だそうだ。まったく月並みだなあとは思うけど、その人の大学の講義で「先読みが身についたらいろんなことがスムーズになった」と証言していた女子大生の立場がないな、と思った。番組さん、そこ配慮してあげても良かったと思う。

 マツコロイドはたまにまとめて見る。マツコロイドに接した人たちがとても面白い。そこには好奇心も恐怖もあるけれど、それより興味深いのは、壁も溝もない「関係」がそこに見えるからだ。生身の人間では成り立たない、けれどマツコの声がする箱でも成り立たない。人間は視覚の情報にどれだけ左右されるのかということを思い知る。

機械より人間らしくなれるか?: AIとの対話が、人間でいることの意味を教えてくれる

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 面白かったなあ、この本。cimacox.hatenablog.com

 あ、棚板の数を考えずに本を積んでいったのは私が人間だからです。あまりにお粗末なヒューマンエラー。きっとまともなAIならば本を分散させることを検討するでしょう。でも一冊でも多くこの本棚で本を保管したいから、私は棚板を買いに行くんです。