読書とは脳みそを楽しませることである

砂の器〈上〉 (新潮文庫)

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ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編 (新潮文庫)

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1Q84 BOOK 1

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出世花 (ハルキ文庫 た 19-6 時代小説文庫)

出世花 (ハルキ文庫 た 19-6 時代小説文庫)

 いつものものから毛並みの違うものまで、最近読書に勤しんでいます。こんばんは。塩鯖のスイッチが入ったらしく、彼ががつがつと春樹を読んでいるんです。なぜだろう。なぜ、なぜだ。まったく理解できない。しかし、同じ本を読んでくれるというのは嬉しいこと。ありがたや。でも私は彼の読みそうな本を読めそうにない。なぜって、歴史小説。中学生からやり直さないといけない。

 楽しい読書と楽しくない読書がある。ということも、個人によって違うものだから「ええぇ、そうなの?」の人もいれば「ええ、そうでしょう」の人もいるだろう。私は楽しい読書が好きで、楽しくない読書は嫌いです。だから「これは楽しくなさそうだ」と思ったら案外さっぱりと読むのをやめる。しかし最近のブームは「頑張って読む」なので、途中で手ごたえを感じなかった本でも最後までは読み通すことにしている。今のところ、最後まで読んだからといって得たものはない。いつかどこかで出会えるのか、手ごたえ的ななにか。

 横溝正史先生はおそらく初めて。科学捜査もなければ神様のお告げもない。ただひたすらに主人公が出向いて歩いて謎を解く。

 最近テレビのほうにはまっているこれも、毛並みは同じだと思う。

 好きなミステリとそうでもないミステリがある。違いは何かなと考えたところ、おそらく犯罪者の心理が理解できるかどうかというところが大きいような気がする。5つに1つはトリックを聞いても「はて?」となる脳みそだ。そこを重視していないってこと、トリックなどどーでもいいと思っているのだ。あまりにも「そりゃないだろ」というもの以外は。

 火村先生のごとく、ミステリの多くは映像化される。理由はなんとなくわかるし、映像化されると映像で見たいと思う。ということは、ミステリというカテゴリの本は読む楽しみではないってことだ。となると、ミステリは読んでもノーカウントという気がしてくる。そして実際読み終わって、ノーカウントだなあと思った。

 しかし後に控えているこの本、これは読む楽しみな気がしている。いつぞやに出会ったこの作家さんの分厚いこれ、果たしていつ手が出るだろうか。

 何年か前に読んだ少女外道はすごくよかったから、つい買ってしまったのです。

 あと、お勧めされた出世花(正確にはみおづくしシリーズ?)は、どうにも肌に合わなかった。立て板に水のごとき文章だが、まるでその通りに何も残らなかった。彼らが何を考えているのか、よくわかんなかった……。私という人間になにかが不足しているのかもしれない。

 脳みそをうきうきさせたいので、この週末は春の嵐を思わせるこれをさくっと読んで春樹に戻るつもり。

うたかた/サンクチュアリ

うたかた/サンクチュアリ