生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

ズルいって言葉は可愛くてズルい

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 NHKは好きなのでよく見ている。といっても、気になる番組は夜遅くだったりするのでもっぱら録画になるけども。おはようございます。寒の戻り、しかし窓の外は春の陽気っぽさが漂っています。出たら寒いんだけどなあ。

 今回のテーマ「ズルい経済学」、単純によくできていて面白いし、勉強になった。固有名詞を覚えるのはひどく苦手だから経済学者の名前はきっと忘れちゃうだろうが、こういう事例という表現で再現された小さな物語は頭に残っている。今回はこんなの。

被験者に簡単な数字のテストをしてもらう。正解すると報酬(ご褒美、NHK番組中に金銭のやり取りは行えないのでわらびもちだった)がもらえる。
数字のテストが完了したら、結果を覚えてもらい、答案用紙をシュレッダーにかける。そして口頭で何問解けたか申告し、報酬をもらう。

 いわば、言い値だけ報酬がもらえるという素敵システムのテスト。間寛平ちゃんがゲストで、又吉さんと一緒にテストした。そして報告。又吉さんは9つのわらびもちを、間寛平ちゃんは8つのわらびもちをゲットした。

 ここで意地悪な経済学者の先生が「実はシュレッダーで粉砕されていないんです」と答案用紙を出す。本当に彼らは正確な申告をしたかということを検証する。(二人ともズルしてなかったです)

 経済学者の先生曰く、こういう些細なところで人間は2問ほど多く答えるズルをするとが確認されているという。目が覚めるほど大嘘をこくのではなく、本当にささやかで害のない(と思われる)嘘をついちゃうことがあるそうだ。

 またこんな事例もあった。駐車違反の場所に駐車するメリットと、違反切符を切られた後のデメリットを考えたとき、デメリットの方が軽いと判断したときに違反を犯す。これすごく分かりやすい。

 こうした自分にとっての利益の優先(他者には迷惑をかけないだろう)や、誰も傷つかないであろうささやかなズルが、積もりに積もってマンションの耐震性の偽装問題やFIFAの汚職といった大きな事件になることもある、と。あえて「救い」というならば、たいていの人間は「ほんの些細なズル」ということが、悲しいながら、どこかおかしいような可愛いような印象だ。ぶっ飛ぶような大きなウソはそんなに多くないんだって。

 ズルって要するにウソだ。誰も傷つけない小さなウソならついてもいいのか、という問いがわき上がったとき、この記事を思い出した。私このイベントに行きたかったんですよ。

尾道初の哲学カフェ「嘘をついていいのは、どんな時?」(1)
尾道初の哲学カフェ「嘘をついていいのは、どんな時?」(2)
尾道初の哲学カフェ「嘘をついていいのは、どんな時?」(3)

 ウソは大きく分けて、「自分のためのウソ」と「相手のためのウソ(というのは大義名分で、いかなる場合も自分のためだと私は考えているけど。じゃないと「お前のためだ」とさえ言われたら引っ込まねばならず、私は絶対にそれは嫌だもの)」の2つがあって、前者は「良くないだろう」と言われ、後者は「時と場合による」と言われ議題に上がりがち、そして多くの人が語りまくってる。

 でも一番目にすることが多くて、不愉快になるのは前者だから、私は議題に乗せるべきは前者なんじゃないかなと思う。オイコノミアで「悲しいながらおかしみがある」と言われた部分、当事者にとってはかわいくないことが多い。ただ、私たち大人は日常生活の中でこれを目にしたからといって詰問することはほぼない。同じ大人(あるいは分別のついた子供)であれば、本人もそのことが「良いとは呼べないこと」とわかっているだろうから、あえて指摘したり問い詰めたりしないだけだ。本当はしたいかもしれない。いや私だけがしたいのかもしれない(笑)。

 工業用水の中で生物が生きられないように、清廉潔白の世界で人間はきっと生きられない。だからこういう濁りも必要なんだろう。でもできれば、笑える程度のものにしか出会いたくないものだなと思う。

 先日、風呂上がりご飯前の塩鯖がもぐもぐしていた。なにもぐもぐしてんの、と問いかけたら「な、なにも食べてないよ」ともぐもぐ答えた。この程度ぐらいがいいんだよ。食前にお菓子を食べるのは控えましょう。