あれこれまとめる

f:id:cimacox:20160609051853j:plainf:id:cimacox:20160609053446j:plainf:id:cimacox:20160609070809j:plain
 緑の深くなるこの季節が愛しくてたまらないですな。だいたい嫌がられる梅雨ですが、私は毎年「梅雨が好きです」って言ってます。こんにちは。なんだかいろいろあった一週間だったなあ。

 オーベルジュ土佐山に行きました。相変わらず緑の綺麗なところ。サービスも文句ないし、静かだし、宿泊客は少ない時期だし、いても大人ばかりだから騒がしくないし。本当にここは私の元気充電スポットだな。

 もちろんその前に牧野植物園にも行ってます。カレー食べてアジサイ堪能してくるくるの羊歯を激写して、これでもかってぐらい堪能しました。

f:id:cimacox:20160608132756j:plainf:id:cimacox:20160608123352j:plainf:id:cimacox:20160608121524j:plainf:id:cimacox:20160608124051j:plain

 羊歯が神々しいぐらいの存在感。塩鯖は羊歯と苔が好きです。古代ロマンを感じていたようです。恐竜が食べたのかもしれないねえ。

 週の半ばにこんな贅沢を堪能し、週末はなにやらパソコンの前から動けません。地味にやることが多いんです。なんだか最近突然忙しくなっちゃって。そんな時期ほど妙にニュース見ながら「時代とはいえ……」ってことを考えたりします。

 昨日見てたのこれね。
www.nhk.or.jp


 最後のまとめで「私たちはそもそも不寛容である」みたいなことを、中野信子さんが言っていて、まぁそうなんだよね、と思った。遺伝子的に異種を許容するというプログラムはないと思っておかねば危険。そもそもの立ち位置を間違うことほど、問題を混乱させることはない。

 それ以前にこの番組のなしえたことはそれほど大きくないと思うんだけど(すみません)、だって落としどころのない問題に意見出し合うだけじゃねえ、いろんな意見が聞けましたってだけじゃない(すみませんすみません)。でもこういう番組好きなのよ。だから見ちゃうの。某討論番組みたいに誰かが誰かの意見を遮って大声出してってこともないし、たいてい理想論を持ち出して「こうすることが人間として素晴らしい選択だ」みたいなことを言う一般人に対して、そこそこ地位のある文化人が「でも人間って楽なほうに流れちゃうしね」って言っちゃうあたりが痛快だったりします。性格悪いかしら。

 番組ではなぜ不寛容なのかってことに関して、異なる意見や考え方を許容することができず、結果炎上になったことを例に挙げていたのだけど、要するに自分にとって不利な意見はなかったことにできちゃうネットの世界でどうして行くべきか、みたいな話になったのだけど(それで自分と違った意見に関して寛大になれるかどうか、あるいはなるためにはという展開)、それ以前になんでこんなにカッカした社会なんだろうねえ、って思った。それもこれも、ネットが普及して世界が狭くなったと脳みそが誤解しているからだと思う。実際の世界は今日も変わらず広いんだ。

 私ね、性格が悪いことは承知のうえで、ホント人間ってバカになってるんじゃないかなあって思う。想像力が落ち、それとともに、いろんな大切なことを置き去りにして、自ら流れの速い渦に巻き込まれているだけなのよ。

 ネットを介してのコミュニケーションだからできないんじゃなくて、ネットがあってもなくても、きっとできていないんだよ。相手が迷惑か迷惑じゃないかなんて、きちんと相手を見ればわかることだと思うんだ。ネットを介して見てますって、それ見てることになってないの。我々の言語能力や表現能力を、どれだけ過信しているのかっていうところになると思うんだけど、ホント思ってることの何割を文字にできてる? って聞きたくなる。

 今日いつもの友達と話していて、自分の常識と社会の常識との距離感をまるで持っていない人って意外に多いんだねってとこにたどり着いた。自分の正解=社会の正解って言ったほうが近いかな。それぐらい彼らの見えている世界は自分と密着した部分だけなのよ。そこだけが世界ってこと。残念さよりむしろ「よくそれでその年齢まで生きてきたな」って思ってしまう。

 人間の価値観を変えるほどのことって、そんなに簡単なことではないと思ってる。心の底から驚くことや、感銘を受けることって、年々減っていくから、この年齢になっちゃうと本当に減ってくる。けど、思い返したところで「数多くって数えきれない!」ってほど多くもない。だからやっぱりその程度なんだと思う。その時自分に起きた変化、根こそぎ変えざるを得なかったことなんかを思い出していると、小手先でちょっと思考パターンを変えた程度、文章でいえば「です」「ます」調から「である」調に変えた程度は、本当に何かが変わったことにはならない。だからね、恐れずに、そして結果を急がずに、ひとまず聞いてみよう、見てみようって姿勢を持つことから始めなければならないんじゃないかなって思う。

 そうすることで、この世にはびこっているペテンの数々に気づくかもしれないけどね。人間は一度経験した愚かな歴史を繰り返さない、ってことはないんだなあ、むしろ時代のある一定温度になるとわいてくる病理みたいなもんなんだろうなあ。