騎士団長殺し第一部を読み終わり

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

 ちっとも我慢できずに一気読みしました。だいたい3、4時間ぐらいで読めました。この時間、タイムスリップしたみたいに一瞬だった。ああ、良い読書時間って素晴らしいなあ。

 物語のネタバレはありません。だってまだ全部読んでないしね。だからネタバレを求めてきた人ごめん。

 じゃあ今日はなにを書くのかって、そりゃ物語とはなんたるか、です。イデアとメタファーってサブタイトルにもなっている単語だもの、触れずに語れないよ、きっと。

 本好き芸人さんのアメトーークの記事を読みました。私は又吉さんと光浦さんまったく趣味が合わないなと思いました。カズレーザーさん、若林さんと合う。嬉しいような、嬉しくないような。又吉さんの小説に対する姿勢とか視点は大好きなんだがなあ、なんでそれ読んで面白いと思うんだろうって思うんだよねえ。

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 本なんて嗜好品といえば嗜好品。だからどの本が好きであろうと個人の趣味なわけで、でも趣味が似ている人って勝手に親近感もつわけで、応援しようかなとか、ちょっとテレビ見てやるかって思って行動したりして、人間って本当にポジティブで前に向いて生きるようにできてるんだなあと思います。人間って、っていうか「人間の脳」って。

 私は20年ほど前に春樹を読み始めて、苦戦して苦戦して何度もチャレンジしてようやく描いている世界を掴むことができたんだけど、塩鯖ったら一発でできたんだよね。これは日ごろから筋トレしてる脳みその部位の問題か? と思ったけど、ちょっと違うと最近思うようになったのよ。じゃあなにが違うかって、期待度だよ。

 私は小説には「こうであれ」というものを持っていて、だから期待値に達していないものや、的外れなものに対して、すごく理解しようと努めるわけ。なぜこの作者はここでこのシーンを描く必要があったのか、とか、こうした人を登場させる意図は何かとか。

 小説そのものはメタファー(隠喩)である。もっと分かりやすく言えば「嘘話」である、ということが大前提で、そのうえで「なぜその嘘をつく必要があったのか」ということを考えるわけです。そのとき、私の期待値を裏切らない作家(作品単位じゃだめなんだ、一貫性がないと人として信用できないんだ)であってほしいと願っている。その期待度が邪魔をして、私の脳みそを物語が通過するとき、寄り道とか迂回とかいろいろあって、たどり着くのに時間がかかる。

 そんだけのことだった。だから宮沢賢治の読み方を教えてもらった時は、目から鱗ならぬ脳みそから汁みたいな、顎が抜けそうってくらいに愕然とした。

 まぁ、それを知った今でも、私の本を読む意味とは、その中にいる自分に出会うことであり、それはいつだって予想の範囲内ではおさまらないこと。言い換えれば冒険。ここんところは変わってない。より効率的に質の良い冒険をしたくなったくらい(笑・これが本を読まなくなった一番の理由だなあ)

 だいたい春樹の本を読んだらこういうこと考えるねえ、私。

 新刊のこの本は、メタファーの風の中を私の想像力の翼が大いに、意図する方向に、伸ばすだけ伸ばして(むしろまだそれほど伸びたかと自分が驚くほどに伸びて)、思っていた自由よりもまだ先の自由があった、と感じさせてくれる本です。

 あえて似てる作品としたら、海辺のカフカかな。もちろん、春樹の小説に欠かせない象徴のあれこれは(血を流すとか、セックスするとか、扉を通過するとか、巨大なシステムに対して個人ができることとか)出てくるけど、うーん、そうだねえ、人間の欲や、人の成長を描いていない小説ってあるでしょうか。そんなところです。いちいちセックス描写に欲情できるっていいなあと思います。

 というわけで、前編の感想は太字のところです。ちょっと用事がいろいろあるから続きは読めないけど、日々のストレスを忘れて飛び回れるこの世界が手元にある喜び。本当に今の時代に生きててよかったなあ。春樹さんありがとうー!!