変わるものの美しさ、変わらないものの美しさ

冬に弱い塩鯖が目覚めたので、桜を見に行きました。ついでに、神様のテーマパーク、アミューズメント施設のような田村神社(リンクは写真の下)にも行きました。おはようございます。桜散らしの雨が降るねー。

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tamurajinja.com

タイトルは思い付き。いつだって思い付き。桜って必ず散ります。当然のこと。でも散るから美しいわけではないって思う。散ろうが散るまいが美しい。

先日読書会でお会いした方が、介護の仕事からCADの仕事に転向したそうで、そこで「介護は人相手だから毎日が違う。CADは機械相手だから毎日が変わらない。手順通りに行えば期待した結果が出てくるからストレスが少ない(介護の仕事が嫌だっていう話じゃないです)」ということをお話されていたので、そうか、機械相手だと変わらないって感じるのか、と軽い衝撃だったことを思い出したんです。

私は機械にも個性があると思っているので、いつも一緒だなあって思わないんだよね。機械の個性とはなんぞや。車を考えたらわかりやすいかなと思います。車って同じメーカー同じ型式であっても使う人によってクセも個性も違うでしょ。そういうことが、PCにもあるんだよね。そんで、なんだか息が合うとか合わないとかある。それは仕事上で求められる結果には影響しないかもしれないが、微々たるものが日々積もる。対人でのストレスと量は違うかもしれないけど、結局同じなんじゃないかなって思うんです。

いや、介護の仕事って本当に大変だと思うよ。私は適性の時点で落とされそうですもん。

人は美しいものを善(正義)と誤解する、という内容の話をしたことがありました。その中で面白いなあと思ったのは、宗教芸術の圧倒的な美しさはその心理を利用しているっていう説。嘘ではない、だが本当でもない。だけど圧倒的に美しいものを見たとき、ただ単に「作った人の労力とかセンスとか考えたらすげえ」だけで心は留まるかな? と考えると、たぶん人知を超えたものを、中でも悪ではなく善を想像するだろうなって思います。

善(正義)は強い、というのは、ある程度真実だと思います。逆説的に、悪は弱さというのもある程度真実だと思います。そして、人や社会は二つのバランスから生まれる混沌でできているんだと思います。

桜はとても弱いものです。切ったら病気になったりするしね。だけどコンクリートを突き破るぐらい強い根っこです。ほんの数日で散ってしまうのにね。毎年言い表せない魅力を何とか言葉にしようとして断念しています。

梶井基次郎の「桜の樹の下には」でも読むかね。もう桜の花が去ってゆくね。