生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

ほぼ月報化している

 こんにちは、お元気ですか? こちらは思った以上に寒い冬を迎えております。一日1回ぐらい雪がちらつきます。きっと雪国の人からすれば、特になんということもないお天気なのは分かりますが、こちらは家が寒い。ええ、とにかく家が寒いんです。冬の寒波のたびに「床暖房は人類に必要なものではなかろうか」と思うほど寒さに弱いです。

 といっても、私自身はけっこう寒さには強くてですね。嫌だけど、嫌だけども、風邪もひかない。切ない感じになっております。

 さて、今日は魔法のお仕事がひと段落し、来週にはグアム旅行へ旅立つのでのんびりしているわけなんですが(こんなので生きていけてる運に感謝)、いよいよ面倒くさいことに挑戦しようと思い腰を上げたのですね。たぶん、IT関係の仕事よりきつい。ただひたすらに「資料をまとめる」お仕事です。これが誰の役に立つのかなんて分からないけど、たぶんどこかで自分に役立つと信じてやるわけです。

 久しぶりに簡単なDBの設計をしようとしたら、左の脳がやたらと活発に動いたらしくじんじんします。ググったら危ないっぽいことが出てきますが、たぶん血行が良くなっただけでしょう。普段頭を使っていないってことかもしれません。みなさんもたまには脳の血行を感じるぐらい頭を使って見たら良いよ、たぶん。

 さてさて、今年は香川県の動物愛護ボランティア団体のひとつに参加して活動しています。私無類の犬好きなのよ、犬飼ってないけど。今まで存在は知っていたけど参加したことはなかった「ボランティア」、入ってみると実に様々な思想があることが分かりました。避妊去勢をしない理念とか、野良犬に餌をやる優しさとかね。いろいろ思うことはありますが、非難したり、その思想についての真偽を問うみたいなことは、しなくていいことなんですよね。それは「正解がない」からではなくて、「つまるところ目指す世界はどんな世界なのか」という部分であってね、政治の思想とかと似たようなものだと思うんです。だから攻撃するとか、防御するとか、そういうのも必要ないところなんだろうなって思います。

 っていうのは、塩鯖が言ってたんですけどね。「自分の邪魔にならないものなら、別にいたって関係ない」ってね。そう、そういうことなんですよねえ。なんていう私は、ボランティアに参加した当初、野良犬の餌やり(といっても餌を道にぶちまけるだけ)をして、オレ動物大事にしてるぜ、みんな金を出せ! みたいな人を見たときはイラっとしましたけどね。別に参加しろとか賛同しろって言われるわけじゃないからいいの。

 私が所属しているボランティアグループは、迷子になった子をお家に帰す活動をメインとしています。迷子が出たら、ポスティングしに行く。だから行ったことがないところにも行くし、たくさん歩きます。この情報化社会で足と紙を使うんです。時代錯誤かと思いきや、SNSなんて見てない人が多いこと多いこと、って思います。実感したから、今日も歩く。そんだけです。

 保健所にも行きました。処分待ちの子たちも見ました。かわいそうです。だけど、可哀そうな目の前の子に餌をやることは、自分の良心を満たすだけの自分勝手な行為です。だから餌もやらない。撫でることもしない。ただ、その中でも人と共存できる可能性のある子がいたら、譲渡する活動にも協力します。犬はみんな人が好きなんだと勝手に信じてたけど、そんなわけはないんですよね。当たり前のことにショックでした。

 去年の今頃は、哲学カフェブームが来てたけど、一度冷めた熱は燃えず。面白いんだけど、その先がないから、やれない。その先の行動は一人でもできることだから、いらない。人は善悪を決めることなんてきっとできないんだと思う。あるとしたら「個人的な善悪」であって、賛同者の人数が善悪なわけでもない。だったら私は賛同者なんてどうでもよくて、やりたいようにやるだけ。賛同者の存在をあてにした大きな目標なんて、なんか違うと思う。一人でもやっちゃるって思いがないと、それはただの「偽善」だと思う。

 魔法の仕事のほうではエグいこと、ダークなことはあんまり言えないので(ナイーブな人も多いからねえ)、こっちはそういう毒だしみたいな場所になりそうだ。ごめんね、はてなブログちゃん。