生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

今日は退院です

 おはようございます。洒落た写真にしないところがこのブログらしいところです。洒落た風に写真撮るのなんて楽勝だしな(負け惜しみ)。今朝起きてまず目に飛び込んできた風景。キセログラフィカをソーキングしたから外に干してたのよ。塩鯖はいつの間にか私以上に植物を溺愛するようになったので、寒くないかなと心配していたけれど、もう5月だしたぶん大丈夫。

 キセログラフィカって、こう、根元から葉っぱのラインが「ごぽっ」としてるじゃないですか。だからソーキングすると水が溜まるんだよね。そこから腐ると聞いて想像ができちゃったので、それだけは避けねばならぬって思ってしまって、ソーキングしたあと気が気じゃなくなったというわけです。ならソーキングするなよって感じですけど、いやいや、この天然パがパンチになりそうな勢いだってね。水不足だろうと思ってソーキングしたんですよ。

 干す場所を作ればいいんだな。よし分かった。

 ある場所には「タンクに水を溜めて風を当てる(外管理にする)と大きく育つ」と書いています。めっちゃ勇気いる(枯らせたくない!!)。

 新しく仲間入りした別の子もいます。双子のようですが名前が違います。片方は(名前覚えてない)子株が吹いています。ということは、世代交代が近いのかもしれない。ということは! 気が気じゃない。

 最近、また台湾に行きたい熱が上がっている。
 





 前回記事にしたときは、台南のことばっかり書いていたけれど、台北にもちゃんと行ってきたのだ。そして指南宮や猫空にも行ってきた。どちらもまた行きたいなあって思えるところではあるが、やはり台南の明るく勤勉な雰囲気をまた味わいたいのだ。台北は都会過ぎてさ。でも、早朝、街が動き出す前に朝ごはんのお店がもうもうと水蒸気を上げ始めるところを見ると、ああ、ここは日本ではないんだ、台湾なんだって改めて感じられて、すごく良かった。ただ、台湾本の多くにある「飲食店の人がニコニコしている」という状況は、あんまり見られないのだけどね。だいたいなんだかちょっと怒ってる風なのが台北。台南に行くとそれはなくって、もっとフレンドリー。日本人と分かれば分かる限りの日本語で接してくれるし、お互い言葉が通じ合わなかったねって結果になっても、にこにこと「気をつけてな!」みたいなムードでいてくれる。

 でもな、一番恋しいのはこのステーキだったりするから食いしん坊はまったくアレだよね。このステーキは台中のお店なんだけど、まぁめちゃくちゃに美味い。グアムのステーキよりも断然うまい。チェーン店だけどだからなんだというぐらい美味い。だけどもうこの本店には行きたくないなだよね。台中は今一番発展が熱い場所らしいが(住みやすさもNo1らしい)、なんだろうか、始終感じていた剣吞さ。あれを感じたくなくて行きたくないのだ。

www.taipeinavi.com


 このお店は高雄にも支店があるので、今度は高雄のに行く。

 そういえば、台北で占いに行ったとき、朱砂掌と言われた。ググって日本語を見ると、毒手とか拳法のことが書いている。拳法は違うだろうからと思って中国語のサイトを見ても、おおよそ日本語でもありそうな「一攫千金」とか「ビジネスラッキー」みたいなことしか見当たらない。(朱砂掌ってなにか知ってる手相の偉い人、教えてください)

 こういうのは日本語のサイトでも本当によくある。雑誌の後ろについてる「絶対にお金持ちになれる財布」とか「恋が叶うパワーストーン」とか「天王星が牡牛座に入るから自分を甘やかすだけでなにもかもが思い通りの時代が始まりますよ」とか読むと顎が外れてエイリアンが生まれそうになる。そういう解釈も悪くはないけど、まるで濡れ手に粟だから待ってりゃいいよと勘違いしそうな煽り文句はジャロが逮捕してくれないかなって思う。

 でも中学時代を振り返ると、それはそれで悪くないっていうことも分かる。一生懸命両想いになるべくおまじないをしていたあの頃(3連敗して不発でしたけど。さらに友達と付き合うという絵にかいたような展開になるけど、規模が小さい学校だとだいたいが友達っつーか顔知ってるしな)。本当のところ、両思いとかはどっちでも良くて、もっと極端に言えば恋なんてしていなくて、ただただ、おまじないをしているということ、好きな人がいるという話題に入っていけることが楽しかったのだろうと想像できる。両想いになるにはラピスラズリを持つといいらしい、でも高いね、どうしよう、生徒手帳に書くおまじないの方をやってみる? なんてね。そうした「夢を見る幸福」をあれらは売っているのかもしれない。

 当時の私をよくよく思い出してみると、お前はもっととばっちりとか八つ当たりを跳ね返すおまじないをした方がよかったんじゃないか、と言いたくなるが。たぶん少女漫画の影響で、恋こそ思い通りにならないものだと思ってたんだろうね。逆に、そういう八つ当たり的な理不尽は嵐のようなものだから耐えればいいだけ、みたいな。見事に3年続いたが、考えようによっては3年で終わったんだ。しかし、後に呪いの方が思い通りにならなくて、恋はけっこう思い通りになることを知る。コツはブルドーザーのように体当たりすることです(まるで避けようのない天災だと思わせるが如く)。

 あ、今は呪いもなにもないです。呪いも素通りしちゃうぐらい存在感もないので、屋上にSOSを書くぐらいのアピールします。

 英語のドラマはよく見るものの、台湾が恋しくて中国語を勉強したくなってしまう。やらんけれど。私はその国に住めば言葉なんて覚えるだろうっていう安直な考えの持ち主です。中学2年ぐらいから(ちょうど英語の勉強が嫌になったころ)。

 今日は塩鯖の退院日である。そして、私は塩鯖に引っ付いて歩くのである。