生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

うだうだ書いてるけど結局のところどーでもいいって思ってる話し(定期的にうだうだ言いたくなるところなだけ)

 おはようございます。冷え知らずのエッセイストです。たこ焼き作って汗だく、カレー作って汗だく。冷えたい、電気に頼らず冷えたい。

 岩手県のある本屋さんがとても元気だというニュースを見た。文庫Xのさわや書店だ。懐かしき文庫X、もちろん読んでいない。けれど、激しいポップの試みには感心した(上からですみません、いい言葉が思い浮かばない。ほぉ~~~、こうきたか! と本好きとしては感じたんです)。

www.shinchosha.co.jp

 セカチューもポップによってヒットした作品のひとつだと記憶している。本屋でポップ、ビレバンの十八番。もう使い古された手法だと思っていたけれど、まだまだ可能性があったということだ。

世界の中心で、愛をさけぶ

世界の中心で、愛をさけぶ

 朝ドラでもオマージュされてたね。

 そんな元気でやる気のある本屋さんがあるのが岩手県宮沢賢治石川啄木の二大作家がいる。ニュースではこの二人を並べて「ゆかりのある作家」としていたが、毛並みが違いすぎるものを並べるのってどうなのよ。方や、常人ではない感覚の天然の天才(紙一重ともいう)で、方や今の時代にいたならば間違いなくベストセラー作家「お前らこれが好きなんだろう、泣けるやつを書いてやるよ」な確信犯だ。

 でもそんなことはどうでもいいのだ、分かっている。だけど私と塩鯖は、ちょっとスリリングな気持ちで見ていた。

「本を読む」ということは、良いことのように語られることが多い。本当にそうなのかな、と思う。もちろん、読まないよりは読むほうが知識は増えるからいいだろう。でも私たちは本当に知識のために本を読んでいるのだろうか。いや、それだけじゃないだろう。それだけだったら、もっとカジュアルなe-ラーニングでもできれば、お手軽に知識なんて吸収できるし、偉い人たちが「本を読もう」というのは違うところに意図があると思う。

 おそらく、本を読む習慣を身に付けておくことが目的なのだと思う。ええ、そんなことは知ってるよ、知ってるけどなんかまだほかに答えがあるんじゃないかって思うんだって。だから定期的にうだうだ考えたくなるの。

 こんなことするヒマがあるなら、積読になってる図書館本をやっつけろと。まったくその通りであるよ。今日は2冊ぐらい読んで返しに行くよ。

 小説好きならこれは読んでおけ、的なものを見かける。私は「男子たるものこれを読んでおけ」的な小説をけっこう読んでいる。しかしそのリストにある本を読んでる男子に会ったことはない。こういうとき、もしかすると世界はパラレルで、私の所属しない次元の世界ではそういう本が大流行していて、多くの人がその本に関する話をそこかしこでしているのではないか、と思うことがある。想像した時点できっとその世界は生まれているだろうけど、それはそれで鬱陶しい世界だなって思っちゃうね。

 芥川龍之介の河童の世界だね。