生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

物語の向こう側にはみんなが知ってる川が流れている

 広告の位置がおかしい。自ら付けたら両端に出る広告が消えるかと思ったんだが、消えるどころか増えたな。Wordpressでは発揮できない(むしろこっちにそれを貼りたいのに上手くいかない)というのに、なぜはてなで叶うわけ!? 朝から妙な方向へイラっとしています。

 おはようございます。肌寒い朝だね。スタイリッシュ時代劇で殿をお守りできなかったっていう夢を見た。いや完敗だったね。

 頭を面倒くさい考え事に使わず、と書いたけれど、一切やめたわけではない。臨床とことばは良い本だったから、すごくいろんなことを感じたしね。感じるっていいなあ、気持ちいいことなんだなあって思う。愛読している(ベッドに置きっぱなだけだが)この本を、また読み直さねばと思っている。

村上春樹、河合隼雄に会いにいく (新潮文庫)

村上春樹、河合隼雄に会いにいく (新潮文庫)

 この本の内容は、河合隼雄さんの名前でいろんな本に掲載されているようだ。全部確認したわけではないが、この本が総集編であったらいいなと思う。村上春樹の小説は、おとぎ話のような嘘話だ。嘘話の中に真実がある。その真実とは、読んだ人が感じればいいものであって、あからさまに「これが真実なり!」と書かなくていいところだ。そういう形態の小説を書いている人、今ではどのくらいだろうか。

 勝手に私が「すごい作家」に認定しているいしいしんじさんなんかはそうだ。

ぶらんこ乗り (新潮文庫)

ぶらんこ乗り (新潮文庫)

 私は素直じゃない人間だからか、星の王子さまって好きになれない。小さなころから、さもありなんとした絵本が大嫌いだった。勧善懲悪だったり、良いものが救われたりするのは、いつだって「こうだ」って言いきれないじゃん(だって濡れ衣着せられて怒られたりするし)って思ってた。だから童話的なものに拒否反応を示しがちなのである。

 けれど幸福な王子はとても好きなお話で、読み終えると必ず、幼い私も、今の私も、王子の幸福を願わずにはいられない。かといって、自己犠牲の話しが好きだってのとはちょっと違う。嫌われ松子の一生は辛いもんね。逆に、腑抜けども、悲しみの愛を見せろの方が徹底的に、兄ちゃんに対しても「こいつらイヤだわ。関わりたくないわ」って思えるからマシだ。

嫌われ松子の一生 (上) (幻冬舎文庫)

嫌われ松子の一生 (上) (幻冬舎文庫)

腑抜けども、悲しみの愛を見せろ (講談社文庫)

腑抜けども、悲しみの愛を見せろ (講談社文庫)

 何が違うのか、結論は出すまい。分からんし(結局は愛を得たいがための犠牲と、そうではない心の違いか?とか思ったところ)。

 宮沢賢治は言わずもがな、読めるようになってからは大好きな作家です。塩鯖の影響? いや、塩鯖が教えてくれた「宮沢賢治の世界の楽しみ方」のおかげってこと。

 絵本じゃないの読んで欲しい。

 で、最初に戻る。村上春樹が小説で描こうとしているもの。河合隼雄さんの臨床とことばを読んで、描かれている世界だけにとどまらない普遍性の話を、この二人はしていたんだと感じた。ということは、今までとは違う視点でこの本をまた読める、って思って嬉しくなった。新しい視点って嬉しい。

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 人生の内、かれこれのダメンズを見てきた。概ね救いがたいダメンズだ。でも、そうじゃないメンズも知っている。本当に本当に、ダメじゃないメンズと結婚したいと願っていたから、塩鯖と結婚できたのだと思う。こう言うののコツは、あれもこれもと願うのではなくて、これだけは譲れない本当のものをお願いするといいのだ。

 今日は父の日。妹ちゃんのクッキーは完売しました。買ってくれた人たち、ありがとう。世の父たちに幸多からんことを。

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