生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

世界のアートが一堂に会する大塚国際美術館

 おはようございます。今日は大塚国際美術館に行く日。そして20日オープンの宿に泊まる。お誕生日前夜です。うふふー。

o-museum.or.jp
 大塚グループが創立75周年記念事業として徳島県鳴門市に設立した日本最大級の常設展示スペース(延床面積29412平米)を有する「陶板名画美術館」です。

 前々職のぽにょから聞いて知った美術館で、旅友はすでに訪れているし、前職のゆとりちゃんにも「いいらしいよ」と教えて行かせたくらいなのに、自分が行っていないというね。ようやく、ようやく行けるのだ。といっても、自宅から約1.5時間なので、ずいぶんと近いところに来たものだと思う。ポスティング場なんて遠ければ片道1時間なんだから、あと20分ほど走ればここにたどり着ける(時間換算では)のにな、って思うけれど。

 まぁ、いろんなことはさておき今日はアートの日だ。自慢じゃないがアートってあんまり分かってない。いや、アートオタクのぽにょが力説してくれたおかげで、政治と金と宗教のはざまでアートが訴えてきた悲喜こもごも(アートは必ずしも権力に対するパンクではない、むしろ宣伝効果抜群)も知ってはいるのだけれど、私、世界の歴史のどこかに強烈に惹きつけられるっていうことがあんまりなくってですね。

 それはきっと、私は出来事よりもそれを引き起こした人や、巻き込まれた人の方に興味があるからであろうと思うのだが、旅友なんかは「アートは作品を見るもので人がどうとか関係ない」と言い切るので、審美眼に自信がない私は「あ、すみません……」なんて引き下がっちゃう。

 けれどね、塩鯖が実家から持ってきてくれた史記を読むと、中国の歴史がとても好きになったよ(横山先生ありがとうございます)。単純明快すぎるかもしれないけど、やっぱり始皇帝がどんな人で、だから何かが起こったときそのような選択をし、結果こうなり、こんなものができた、って感じていく方が気持ちが入る。万里の長城は紀元前214年に始皇帝によって建設された宇宙ステーションからも見える人口建造物である、というよりずっと、始皇帝の恐怖を感じるほうがその大きさを実感できる。見たことないけどね、いつか行きたいね。

 私は画家に明るくないが、好きな画家はいる。グスタフ・クリムトとその弟子エゴン・シーレだ。シーレは本当のろくでなし、クリムトも近いところはあるが彼の方がそれぞれに愛を感じる。時代的にはデカダンが好き(大正のはもっと好き)だけどよく分かってない。

 多くの人は、自分の中にある強い欲をいかに飼いならすか、あるいは同居するか、あるいは戦うか。その姿もまた美しく(究極に醜く)、そのはざまから多くの美術芸術文学音楽が生まれてきたのだろうけれど、人がどうしようもないろくでなしであるほど多くの人を魅了する不思議にいつも戸惑う。けれど、聖人君子みたいな人だったらきっと無臭だろうな、って想像がつくね、そんな感じね。

 人は美しいものに善や正義や正しさを見るそうだ。人は人を超えない、けれど作品は人を超える。今日はそれを楽しみに行く。私は世界的価値基準と自分のアンテナが一緒だとは思っていない。だから「この絵はとても価値が高くてうんたらかんたら」という説明があれば「そうかこれが価値か」と思うだろうけど、アンテナがピーンとなるかどうかは別だ。自分の中の「好きなもの」の形が、今日ひとつでも増えたら嬉しい。

 しかし塩鯖は深夜までお仕事があって、お疲れ気味なのが少し心配です。道中で元気になるといいな。