生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

大塚国際美術館キリスト編

 おはようございます。大塚国際美術館を歩き回ってきました。広い、一日がかりと聞いていたけれど、4時間少しで十分疲れ果てました。

 大塚国際美術館は実寸大の名画が展示されている所だけど、世界中のあらゆる美術品が集うわけではない。ある程度の偏りはあるんだと思うけど、作品数が多いので回るだけでも時間がかかる、というわけだ。

 私自身、名画に明るくないので「へー」「ほー」という感想がほとんどだ。名画の色々もヘッドセットで聞くことができるし、絵のそばに開設も書いてあるし、たぶん館内ツアーの人たちにも出会うだろうから聞こえてくる。けれど、興味がないと馬の耳に念仏だ。私は絵を描く人ではないので技法や構図や画材にはそれほど興味がなかった。

 入って一発目に圧巻の展示。開館直後に来たので人は少なかったが、ツアーの人たちが15人ぐらいかな、ベンチに座っていた。システィーナ礼拝堂は1508年から1512年にかけて、ミケランジェロ・ブオナローティによって制作された。

 私たちが訪れたときはちょうどゴッホの7つのひまわりをやっていたので、ひまわりモチーフがたくさんある。日本人のゴッホ好きはいったいどこから来たんだろうか。私ももちろん好きなのだけど、私の場合「分かりやすさ」一択である。というのも、初めてのゴッホのひまわりはたぶん幼いころにもらったタオルか何かだったからね。

 大塚国際美術館は厳かなイメージをお持ちの方もいるかもしれないが、そうでもない。コスプレを推奨したりもする。こんなにたくさんの名画に触れられるのだから、もっと身近に楽しんでってことだと思う。だって本物じゃないけれど実寸大だし触れるんだよ、よくわかんないけど寛大さを感じるじゃない。

 さ、ここからキリスト編。というか概ねキリストの成長記録、いや、人の信仰が育てたキリスト記録、と言っても過言ではない芸術の歩み。

 そもそも名画の多くはキリストさんが描かれている。キリストさんといえばキリスト教なわけで、布教活動のために必要不可欠な芸術であったわけだ。人が無条件に羨望し「キリスト教ってええらしいぜ」って集客するパワフルな絵は宣伝するのに最高なワケです。ということで、キリストさんが多い。昔は字が読めない人も多かっただろうけれど、神々しい絵は文字を使わず「すごくいい世界にいけるっぽい」という気持ちを呼び起こす。


 こんな感じね。

 人は死んだらどうなるんだろうって、いつの時代の人も考えていたことなんだなあって思う。この問いの答えは、誰しもが一度だけ経験することになっているけれど、そこを通過して帰ってきた人はあんまりいないから、天使や死者に会えるのかどうかはいまだに謎だ。でもそんなことはどうでもいいんだと思う。死そのものを必要以上に恐れることさえなくなれば。でもこの絵を見たら勘違いする人いただろうなーって思う。死んだらチャラなら生きてる間にやっちまうかって。ま、そんな人たちに向けて宗教ってあったんだろうけどさ。

 私はキリスト教の正確な歩みは分からないのだけど、キリスト復活ブーム、マリアブーム(受胎)、磔ブーム、宣教師ブーム、キリスト誕生ブームなどなど、いろんなブームを経てキリスト教は広まってゆく。その過程が絵を見ると分かるというのは面白いと思う。また、時々によってキリストがふくよかだったり貧相だったり、マリアが優しげだったり人形みたいだったりと様々だ。絵は写真じゃないから事実をそのまま残すことはない。その当時の人たちが置かれた環境や、宣教師たちの思惑などなどがそのまま反映されている。


 ピエタも復元してくれたら嬉しいんだけど、貸してくれないだろうね(そりゃそうだよ!)。

 日本だってもともとは神教(神道)だったけど、仏教が入ってきて神仏習合があって、いろいろあって(寺が焼かれたり、坊主は懲りずに政治に口出ししたり)実にいろいろあって神仏分離廃仏毀釈、そして今に至ると。必ずしも神仏のご都合ばかりで合体したり離れたりしたわけではなくて、そこには政治的な理由もあれば、時代的なことだってある。すべては人が関わっていることであって、信仰そのものを支えてきたのは一握りの権力者ではなくただの「人」であったんだと思う。

「無知は罪なり」とはソクラテスの言葉だそうだ。この言葉には続きがある。「無知は罪なり、知は空虚なり、英知を持つもの英雄なり」哲学もまた、人間が作り出した学問のひとつだ。

 芸術は人の想像力をかきたてる。中には言葉にならない完成を見せるものもあるだろうが、やはりどれも「過程」であったと思う。あらゆる学問もそうだ。その情熱が向いていた先は、大きな意味でひとつだろうと思いたい。なぜかって、紀元前のころから不思議なぐらい人間の身体の基本構造は変わっていないのだ。私たちとそんなに違いがない生き物であるから、同じ夢を希望を、抱いていたと思いたいからだ。

 ああ、そうだ。こう言った宗教画の本当の価値というのを、私はきっとわかっちゃいないだろう。だけどひとつ、こう思うのだ。

「これが写真ではなく絵であるからこそ価値がある。なぜならそこに、人の思いがそのまま描かれているからだ。見たもの、起こったことの事実だけではなく、人の想像があるからこそ、価値がある」

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 次は宗教から離れたところについて書きます。宗教と芸術が切っても切れない縁なのはよくわかったわよ!