生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

志賀直哉、意外と長生きしてた件と、朝ドラ

 おはようございます。今日は台風が来るらしい。そのわりに、風もなく蒸し暑く雲は重苦しい。蒸し暑さだけを吹き飛ばしてくれないかしら。

 母がいとこと旅行に行くらしい。どこがいいかなあ、新幹線近くの温泉がいいんだけど、と言っていたので、城崎温泉は? と聞いてみた。

志賀直哉かあ……いとこも読んでるはずだなあ、『城崎にて』」

 と、母はつぶやいた。母は私よりも近代文豪の作品を読んでいる。だから母を前に「文学ババアです」とは到底言えない(そもそも、私は好きなものしか読んでいないのだけど)。

 よし、読んでやろうかいと思ったのが今朝。青空文庫にないやんけー。まだ著作権切れてないやんけー。いくつかは読んだ記憶があるが、おそらく19歳ぐらいのときに学校近くの古本屋で、10冊80円ぐらいになってたぼろい文豪たちの本の塊の中にあったのかもしれぬ。

 暗夜行路と百鬼夜行を間違うぐらいだから、志賀直哉先生も「あらら、アホがおるわ」と言ってくれるだろう。しょうがない、どこかで探すか「城崎にて」(菊池寛志賀直哉について書いているものはとても読みやすくて心揺さぶられる)。

 さて。

 朝ドラである。泣ける、朝から泣ける。才能がないのは、スズメちゃんのせいじゃない。だいたいにおいて、才能がないのはその人のせいじゃない。それなのに、それだからか、才能がないことを罪に感じてしまうメンタル、泣ける。最近の朝ドラで泣ける人は、工夫とか切り替えとかうまくできない、不器用な凡人だろうと思う。

 私は凡人であるから、努力が報われるかもしれないこと(報われないかもしれないより、報われるかもしれない可能性が低いのも知っている)、才能の前に凡人は呆然とするしかないことを知っている。もうけっこう良い歳ではあるんだが、「さっさと見切りをつけて次にいけばいい」とは言えない。たぶんまだ圧倒的な才能の前に行くと、私は呆然と見上げる気持ちで何時間もいられるだろう。

 スズメちゃんが漫画家を志してから今までのストーリーは、いろんなことを考えさせてくれる。

 漫画家という生き物は、特に作中の絵をかいているくらもちふさこ先生なんかは、もう神か宇宙の真理かぐらいの存在で、後読みの私でさえも絵を見ただけで感受性が刺激されすぎて泣けてくる。萩尾望都先生もそう。この二人は私より10歳ぐらい上の年代の人が愛読していた漫画家さんだけど、なんかもう桁が違いすぎるのだ。

 そういうわけで、私は神か仏かぐらい敬っているけれど、彼女らは決して「漫画を描く」ということが目標や夢ではなかったはずだ。自分が幼いころ読みたい漫画がなかったから、じゃあ自分でジャンルを作って書いてやる=未来志向の少女たちも楽しめるSF作品で、かつディープにもライトにも楽しめる、あくまで少女漫画、とか、魔法の国でもよその国でもない、またプリンセスでもない当たり前の少女の心理描写の漫画とか、とにかく「自分が欲しかったもの」を形にしたのがかのお二人だろうと勝手に推測している。

(追記:「漫画を描く」が目標や夢ではなかったのではないか、と書いているが、まずは漫画家という土俵に上がらねばならないわけで、必ずしも目標や夢ではなかったわけではないと思う。目指そうとしているものが「漫画家」ではなく、「こんな世界(ジャンルや系統)を漫画にし、描き切ること」がそうだったのではないかと思う。そういう意味では、漫画家というのは方法のひとつだったのかもしれない、と勝手に解釈している)

 彼女たちの夢は、ごく個人的なものでありながら、当時の女の子たちが求めていたものであったのだろうと思う。それを作った人たちなのだ。まさにパイオニア

(追記:どっかの日記に書いた、登校拒否の女の子を突き詰めてゆくと50代の心にも響くという普遍性の話し。まさにこれだなと思う。たぶん、私たちの多くは共通したものを持っている。青春真っただ中でも、鬱でよろよろでも、超元気すぎてバーサクモードでも、この普遍性ってあんまり変わらない。見えるか見えないか、ただそれだけのことなのだ。ちなみに、私はポスティングするようになって野良犬をよく見るようになった。意識してれば見える、というただそれだけのことなのだ)

 しかし凡人の私はどうだ。まぁ、まずくらもちふさこ先生にはなれない。いくえみ稜先生にもなれない。太宰治にもなれなければ夏目漱石にもなれない。当たり前だ、私は私以外の何物にもなれないのだから。

 ということに、気づくのが遅すぎた(ガッデム)(今気づいたわけじゃないよ、一応言っとくけど。けどそういうことをを明確に意識する前に「諦める」という方法を選ぶことが非常に多かった人生だなと思う)。

 パイオニアは、パイオニアを目指してなるものじゃないと思う。人の希望や要望を拾っていたら、パイオニアにはなれないのだと思う。どこまでも、自分だけの完成度を求めるとき、それが未知の領域になってるんじゃないかって思う。

※ここで引用しようと思ったジョブスのiPod水没の話し、あれはソニーウォークマンの逸話とすり替わっていたそう。でもまあいいじゃない、ジョブスっぽいし、ソニーっぽいよね。
www.netlorechase.net
良い記事書いてくれてありがとう。

 あ、ちょっと待って、パイオニアの話になってない!? なにも私、パイオニア目指したいわけじゃないのよ。自分だけの「こうなりたいな」を目指したいなあという話を書きたかったのよ。

 誰かになろうと思うと、人は苦しいのかもしれない。誰でもないものになろうとすると、やっぱり人は苦しいのかもしれない。一番幸福なのは、そんなことも考えずにただ忙しく終わる一生なのかもしれないが、そんなのは今の緊張感のない私だから言えることで、数年前の多忙な私であればきっと違うことを言うだろう。人は本当にワガママで面倒くさい。

 間違った目標の持ち方なんてものは存在しないだろうが、頑張りどころを間違うことはあるだろう。その時「あ、ここ頑張ってもしょうがない」って気づけたら、人生は順風満帆かもしれない。けれど、それでは学べないことがあるから、わざわざこうして一人一人が違う人間に生まれてきているのだろうね、と思う。

 だから今朝のスズメちゃんの涙には価値がある。人生詰んだと思う経験、絶望、もう終わったと感じる瞬間、きっとそこからが本当の人生なのだと思う。

 せっかく生まれたのだから、偉人になろうがなるまいが、有名人になろうがなるまいが、そんな人の評価を気にせずに思う存分自分らしく生きればいいかと思った。なので私はこれから本当の「叶えたいこと」を探しに行く。

 どうでもいいけど、最近のマイブーム。インスタント冷やしラーメン。普通の塩ラーメンとかで作ります。今のところ塩ラーメンが一番うまい。