生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

行政の壁

 おはようございます。塩鯖が食べたうどんが多かった朝です。


 写真では分かりづらいかもしれないが、とろろぶっかけが塩鯖の中。私は冷たまというメニュー。このお店は宮武製麺所という県下でも有名な(?)製麺所の直営店。同系列のお店はいきいきうどん。

 以前ここで温かいうどんを食べたのだが、いまいちだった記憶がある。塩鯖は現地に行くまで思い出せなかったようだが(行ってないってー、一人でいったんじゃないのー? ばりの忘れっぷり)、玄関あたりで思い出したようだ。それほど「うまーい!!」といううどんではない。けれど朝6時から開店していて、近くには工場がたくさんあるので、工場員さんたちの朝ごはん、あるいは仕事明けご飯なのだろう。今回食べた冷たまは美味しかった。しかし、量が多かった。塩鯖はとろろぶっかけをすごい勢いで食べた。勢いがないと食べきれない量だったのだろう。

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 いきいきうどんのうどんは死んでいる。大事なことだからもう一度言っておく。いきいきうどんのうどんは死んでいる。しかし時折無性に昔のサービスエリアのうどんやそばが食べたくなるように、チープな味が食べたくなるときがあるだろう。そういうときは「いきいきうどん」に行くと良い。

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 さて。

 行政の壁である。昨日、迷子犬を一匹助けられなかった。迷子で収容された時にはまだ動けたのだが、持病があったのかどんどん悪化の一途をたどっている。みかねてリーダーが預かりさん(犬を一時的に預かりお世話するボランティアさん)を確保して、保健所から引き出し、病院で治療させようと保健所に行った。けれどあまりにも症状が重く、長くはないだろうということで引き出し不可と言われたのだそうだ。

 香川県に関わらず、おそらくどの都道府県も譲渡条件がある。保健所に収容される犬猫たちはいずれも県の所有物となるため、県としても責任のある譲渡をせねばらなぬ、というのが建前だ。だから明らかに病気、ケガ等で回復の見込みのない犬猫は譲渡対象外。また多頭飼育状態のボランティアも譲渡してくれない。実際そういうのお構いなしなところだってあるだろう。けれど香川県はけっこう厳しいんじゃないかと思う。

 そうした条件があるために、例えば香川県で保護された犬猫を県外に輸送するためにボランティアに譲渡することは認められていない。譲渡先のボランティアがただの橋渡しであるから、譲渡と呼んでいいのか? ということだ。しかし、先日今までの慣例を無視するような譲渡が行われた。数匹の猫が県外に空輸される目的で譲渡されたのだ。知らされずに済んだならば良いのだが、派手にSNSで拡散されたものだから、ずっと香川県でボランティア活動をしていた人たちの多くが「それOKなわけ!?」と憤慨した。話を聞くと、どうもその一件にのみ政治家が絡んでいるらしい。

 私が所属するボランティア団体がお世話になっている保健所職員も苦いだろう、行政は縦割りだ。上からのお達しにNOが言える組織の人間は少ない。いや、でもNOって言えば良かったんじゃん! って心の中では思うけれど、私も行政と仕事をしたときこうした出来事はまま見てきた。理不尽とか不条理とか、目の前の担当に言ったって仕方ないのだ。その人だって同じように理不尽の苦さをかみしめているのだから。

 子犬や子猫、人懐っこい可愛い子、純血種は、ちょっと頑張れば新しい飼い主を探すことはできる。けれど、迷子の老犬や攻撃性のある犬はなかなかだ。私たちはそういう犬を助けようとしている。迷子が少ない時はリーダーやそのほかのメンバーが野良の子犬を引き出して、慣らし、躾をして里親さんに引き渡しているが、それより優先順位の高いのは迷子の雑種の問題児たちだ。誰も手を差し伸べない犬たちのために活動しているのが私の所属する団体だ。

 そうした出来事を経て、今回の「譲渡不可」は、リーダーを精神的に追い詰めたと思う。けれどまた立ち上がって、迷子犬のために走り回る日々が始まるだろう。けれど助けられなかった命を忘れることはない。もっとちゃんとした医療行為を受けさせてあげていたら、早く飼い主さんを見つけ出せたら、飼い主さんが迎えに来てくれたら。「たられば」を思うときりがないので考えないけれど、大きなところを変えないと、この雪かきは終わらないのだ、と強く感じた。

 他県ではもっとしっかりとした医療行為を受けさせてくれる場所もあると聞く。なぜ他県はできてここはできないのか。単に収容数の問題だ。圧倒的に収容される数が多く、けれど予算は他県並みであろうから、医療にまで費用を割けないのが現状、と聞いている。

 この閉塞感、国保の仕事をしていたころと似ているなと思う。ルールがびしっと決まっていないものを、変な日本語で設計し、仕様書にし、システム(仕組み)として建てたとしても、あちこち雨漏りがするし同じ方向からの風に毎回凍えるわけで、でも基礎そのものが隙間構造だからどうにもできません、という感じ。まぁこれは、行政に限ったことではないだろう。だから隙間や基礎に怒りをぶつけたって仕方がない。

 私は何ができるかだ。フランス革命のごとく、民衆が力を得ることが現代にあったっていいんじゃないかと思う。