生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

何か書こうと思ってたのに忘れたよ

 おはようございます。ニュースで災害級の気温と言ってるのを聞いて、やっぱそうだよねーと思った。けれどいつぞやのヨーロッパよりは人が亡くなってないのは、日本人が真面目だから、ニュースで「水分、塩分を摂取し」を守っているからだろうか。

 ニュースでは年寄りが「エアコンはできるだけつけたくない」と言っているが、諸所諸々の理由はあろうが、死ぬよりはいいじゃないか、と言いたいのだが、おそらく「お迎えが近いんだからいいんだよ」とキレられそうだ。でもこの奥に隠れている理由は、年を取ったから温度や湿度が苦ではなくなったとか、逆に敏感すぎて嫌いとか、冷やすと坐骨神経痛が痛むとか、ケチ魂以外にもありそうな気がする。

 そのひとつは、姥捨て山精神だ。口減らし精神は今の日本でも健在だと思っている。子供こそ減ったものの年寄りは激増、社会に負荷をかけていると考えていらっしゃるのではなかろうか。事実、大なり小なり日本の財布をひっ迫しているものではあるが、その心配は議員がすべきだ。税収をあてにする以前に、議員の給料を減らすとか、腰かけ議員を失くすとか、国会の費用を削減するとか、、、国会議員になったら累進課税で納税するとか(接待や交友はお仕事に含まれません)。赤字解消、できないことではないだろう。

 うちの祖母は生まれたころから鬼婆なので、姥捨て山があったら私が担いでいってやるよ! と本気で思うけれど、きっと母が許さない。婆に苦労させられたというのに、こんな気温になる前から母は祖母の水分補給と扇風機には恐ろしく気を使っていたからだ。それぐらい「年寄りはよくわかんない」のだろう。確かに年寄りは時間の流れ方も違うと思う。うちの婆ほど年寄りになると(95歳)人間の時間では生きていないように思う。だから「乾いたとか暑いとか、わかんない」のだ。今祖母は施設で心地よい空調の元にいるだろうから、母の苦労が減って安心している。

戯れに母を背負いて そのあまり軽きに泣きて 三歩歩まず

 行き先は姥捨て山だろ、って同期の作家が言ってたそうだ。名句。「戯れに母を背負いてコブラツイスト」も名句。

 昔からお迎えが近いとかいう年寄りほどお迎えは遠い。だから心配などせずエアコンをつけて欲しい。

 昨日実家の父から電話があって、そっちは暑そうだなこっちは34度位だよ、と言っていた。確かに34度位で風が吹くと37度で風が吹くよりは涼しく感じる。けれど、間違ってはいけない、涼しくなんてないんだ、34度だって。全国の天気では香川県がピックアップされないが、概ね岡山県と一緒。

 昨晩から塩鯖がずっと仕事をしているので、仕事をしていない私もなんか寝不足。夏バテ、熱中症は寝不足、睡眠不足も響く。ちょっと心配です。

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 死んだらどこに行くんだろう、という疑問は、落ち込んでるときに限ってわいてくる。最近の私は考えることが少なくなったが、聖☆おにいさんを読めばけっこう明るい感じになれるんじゃないかと思う。輪廻転生は修行であるから、輪廻転生が終わったら双六でいう「あがり」というのがざっくりとした仏教の考え。ギャグマンガではあるが、キリスト教も仏教もざっくり分かる。

 鬼灯の冷徹も地獄についてとても詳細に書かれているギャグマンガなので、地獄に落ちても、、、いや、地獄には落ちたくないな。まだ輪廻転生する方がいいな。けれど耳鳥斎さんの描く地獄であれば、ほっこりしそうと思ってしまう。200年くらい前の人だそう、そのメンタル、今も輪廻転生している。

可愛い地獄絵がたくさん見れるよ。
耳鳥斎 地獄 - Google 検索

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 死んだ後の心配をして、年老いてから善行を重ねたとて、たぶん多くはまた地球に転生してくる。そう考えると、まぁ人生なんてしんどいことも多いけど、悪いことばかりでもないから、この人生で「あがり」にならなくてもいいかなと思う。

 ただひとつ思うのは、私が生まれ育ったあの家の呪いからは、私自身解放されていくべきだろうなと思う。母が断ち切ってくれたものを、わざわざ拾ってきて継承する必要はないから。

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 見栄えのいい朝飯、食べにくさMAX。

 毎朝、食べやすさと食べごたえのための改良を加えている。パンはかなりフランスパンらしくなってきた。ポイントは240度で4分、190度で16分。200gの粉に136gの水分、油分なし。

 4度目の天日干し。梅酢に戻さない方式にしようと思って干し直し(邪道かもしれん)。食べごろは3か月後らしい。先が長い。