生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~世界に狂った色彩を~

小早川伸木の恋を見たよ


 こんばんは、いまさら? なトレンディドラマを今見たよ。塩鯖が好きなんだって。

 久しぶりにトレンディドラマというものを見て、いやーこのドラマよくできてるなあって思った。原作は柴門ふみさんだけど、本当に天才だな!! って思う。だって今でも人は恋愛においてこれを繰り返しているんだもんなあって思うから。本当のことっていうのは、時代が変わっても本質はまったく変わらない。

 このお話しは伸木くん目線で語られる。おそらくリアルタイムに見てたら「んまー、非常識な嫁ねえ、うざいわー消えればいいのにー」と思うだろうし、「竹林ってやつぁ権力にへいこらして嫌な奴だ」って思うだろうし、「仁志ってちょーしいいなあ」って思うだろうなと思う。カナさんに至っては「こんな悲劇的な人生を送る人がいるなんてちょっと憧れ」って思うかもしれない。

 リアルタイムにということは、見る私も若いわけだからね。けれど四十も過ぎて見たわけで、私も大人になったなと感じた。

 伸木くんはまるで防御しながら攻撃をかわすだけの弱虫だし、カナさんはなんだかんだいって結構無神経なところがあるし、仁志くんはいい奴なんだけど全力投入するところが間違ってるし(最後、伸木くんの弁護士になって長台詞を言うところを見たら、ああ彼は自分の宿命を超えるために頑張ったんだねって思うけど、ああした舞台ができたから叶ったわけだしな)、嫁に至っては最初から最後まで一貫して伸木くんを愛し抜いていてかっこいい。

 恋愛というものは、渦中にいる人たちだけが見えない不思議なものだ。外側から見れば一目瞭然なのにね。でもそれが恋愛のマジック。そして部外者としてあーだこーだ言うのは簡単だけど、絶対に言えるのは「経験してるからこそ分かるんだ」ってこと。だから恋愛経験の少ない奴のアドバイスなんて机上の空論だと思う。

 私は自慢になるほどダメな恋愛を経験しているのでよく分かった。よく分かってしまったことがちょっと残念だなーって思うほどに。

 私はこのドラマの中では嫁が一番可愛いし共感できるけれど、それは私が彼女に近いからだ。愛ゆえに傷つくし傷つけることもあるということを理解している。けれどこれをタブーとしている人からすれば「いやー、お前と恋愛なんて勘弁だわ」って言われると思う。個性、個人差、言葉なんてなんでもいい、重視するものの違いこそ人の違いだから違ってていいんだ。ただ、そういう人と私が恋愛関係になると、早々に終わるかこじれにこじれてボロ雑巾になるかどちらかしかない。

 つい最近、友達と言い合ったことがある。「お察しさんってめんどくさい」ということだ。相手のことは相手じゃないと分からん、これは当たり前のことだ。だけどやたらと「お察し」して謝ってきたり、気遣ってきたりされると、非常に不愉快になることがある。っていうかそれ聞かれてねーし言ってねーし勝手にお察しして「夢を壊してすみません」とか「気分を害してすみません」とか「忙しいのにすみません」とか言われると、そのお察ししたモヤモヤ全てが全部降っかかってきて重いんだよおおおお!! と思うのだ。

 このドラマを見ても思った。お察しし合ってると不幸になるなって。でもこのお察しもすべてが悪いわけじゃない。お察しの上自分を守るために嘘をついたり、違うことを言ったりすると、不幸になるんじゃないかなってことであって、お察ししたうえでさらに未来の選択ができれば、言葉が選べれば、それは何の弊害にもならない。

 仁志くんは概ねそういうやつで、いろいろ気苦労が耐えないねえとは思うけれど、でも本気出す必要がある時には本気出すんだから、彼の人生を歩いていると感じた。けれど伸木はどうだ。嫁の顔色を窺って、でも自分はいい医者でいたくて、不倫になると分かっていても恋をしたことも「嫁が鬼だから」で、まったく自分で選んでない。「こいつグズです! 下衆ですよ!!」と叫びたくなる。

 とはいえ、私も一応の社会経験はありますので、理想ばかり掲げられない時があるということぐらい分かっている。そんな時は「どれだけ自分が関わりたいか」を考えることにしている。野次馬根性、腰掛でいいや、その程度ならば長いものに巻かれてもいいんじゃなかろうか(その代わり愚痴はあっても主軸で頑張っている人を貶めてはいけない)。

 逆に、家庭は自分の場所なんだから、長いものに巻かれちゃダメだろうよ。そこは帰る場所なんだからさ。

 このドラマにはDVの要素もあるし、遠慮し合って不幸になる要素もある。今も恋愛における悩み事のNo1,2だろうね、と思う。でもな、私思うんだ。夫婦になって遠慮しあうって、なんのために一緒になったんだろうな、って。

 恋愛の多くは、自分にないものを求めるから始まるんだと思う。恋愛のうちは求め続けてもいいのかもしれない。けれど求められるだけの相手は疲れるだろうし、双方が求め合い与えられ続ければ関係は長持ちするだろう。けれど満足には繋がらないと思う。なぜなら、満足は与えられるものではないからだ。

 じゃあ満足ってなんだって話。私が思う満足は「自らが満足を生み出せること」だと思う。恋愛関係から始まろうとも、その人と一緒にいれば、相手に求めなくても自分の中から湧き出てくるなにかを感じられれば、それは満足だろうと思う。欠けているから補うのは、穴のあいた柄杓で水を汲むようなもの。終わりがない。

 こう言う例えをすると「じゃあ穴を埋めればいいじゃないか」という人もいるが、その穴埋めをするのが「人」だとしたら、それってなんて都合のいいとらえ方だろうと思う。そう思う人は、他人を「穴埋め」と思っているということだ。他人とは「自分と同じ、この世界に生まれてきて、様々な経験をして、今ここにいる人」だ。お前の穴埋めだけに生まれてくる人がおるんかいな、だ。

 だいたいその穴(欠けてると感じるもの)も自分が作るものだ。欠けてるか、欠けてないか、足りてるか、足りてないか、なんて自分の意識次第でいかようにもなるものだ。誰かを見て、自分にはないものを感じて、自分には欠けている(不足している)ものがあると感じるだけなのだから。

 DVについてはね、私は暴力が大嫌いだし怖いと逃げるので、いつでも立ち向かえばいいじゃないかとか思いません。逃げるべき時は逃げる、縁を切る時は縁を切る。情に流されるというシーンが必ず浮かぶけど、こんな時は究極を考えればいい。「私が死んでも、たぶんこいつは生きていくだろうな」って。ほら、あなたじゃなくても大丈夫なんだよ、だから今戻りたいと思ってるのは「あなたなんだよ」。

 いい人でいたい人が多すぎる。私もそうだけど、私以上に「誰も傷つけない人でいたい」人が多いなあと思う。私は思う。無傷な人なんていない、誰にも傷を与えない人なんていない、ならば「僕はこうして気を使って君が傷つかないようにしてきた!」と表現した伸木は、自分が一番、自分自身が傷つきたくなく、かつ相手をバカにしているっていう意味で、一番傷つけてるんだよと思ったんです。

 私もそうしよ~う。気を使いすぎてへっとへと。