生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

SEGODON最終回に思う

 あー、泣いた泣いた。おはようございます。さっきSEGODON最終回を見終わりました。

 歴史ものを見ると、それがどれだけ有名な話であっても「学生時代こんなにしっかり習ったかなあ?」と思う。100%、私が本気で歴史を勉強しようとしていなかっただけです。はい。でも年末時代劇スペシャルは好きでよく見ていた。西郷隆盛も観たと思うんだけど、田原坂だったのかなあ(1987年放送)。忠臣蔵、白虎隊、五稜郭、このあたり。でも、これほど分かりやすい西南戦争はなかったと思う。

 武士マニアの塩鯖がいなかったら、私はこれほど楽しめなかっただろうと思う。というか、塩鯖の武士好き異常すぎる。けれど彼はいつだって黙ってドラマを見ている。解説なんてひとつも入れてくれない。だから私は一生懸命覚えて後から聞かねばならない。ま、いちいち解説を入れられたらうざいだろうけどさ。

 西郷さんの死は同時に侍の死でもあった。鎌倉時代1183年に生まれた武士は1877年の西南戦争で終わったということだ。700年、あまりにも長くて絶句する。けれど歴史はそこから始まったわけではなくて、西暦が始まる前にも人間はいたわけで、詰み上がった時間の長さに言葉が出ない。今ここに生きているってすごいことなのかもしれない。

 この長い時の中で、何度スクラップ&ビルドが繰り広げられてきたことだろう。そのたびに、誰がどれだけ悔しい思いをし、涙を流し、耐えたり、死んだりしたことだろう。でもそうやって人間は栄えてきた。西郷さんが終わらせた侍の時代の次に来た平等の時代は今、ついにメンタル的なところに及んでいるのだと思う。

 ニュースを見ていると、財産の二極化はどんどん進んでいる。これは一概に若い年代が稼げないとか、技術がない人が稼げないとか、もともとの金持ちがさらに金持ちになったということではないと思う。そもそも、財産という概念がもう古くなってゆくのだろう。私は今後「財産・貯蓄額・資産」で富を図るのではなくて、どれだけの金額を動かしているのかということが富の基準になっていくんじゃないかと思っている。

 塩鯖に、次のスクラップ&ビルドはどこだろうかと尋ねた。「モノづくりじゃないかな」と塩鯖は言った。そうかもしれないなと思う。あと100年もたったら、今の高級車の値段がばからしいように見えるだろうし、そもそも車産業でそんなに経済が回った時代があったことに驚くことだろう。もう車という概念がなくなっているかもしれない。けれどきっと、人間の手仕事は残っているだろうし、匠の技の価値は上がっているだろう。私は100年後の世界を見ることはないだろうが、その世界ではきっと今とたいして変わらない悩みで人は苦しみ、熱くなり、喜び楽しみ、生きているのだと思う。

 そう考えると、本当に歴史を学ぶということは意味があるなと思う。史記を読むと特に思う。3000年前だろうが人間あんまり変わってないなって。栄えたときほど不老不死だの、人生が書かれた書物だのを探したりする。頂上が見えないときにはそんなもの誰も必要としないのに、なんの根拠もないそんなものに頼りたくなるなんてね、と思う。

 けれど人もただの動物だ。だから本能的に、栄枯盛衰を知っているのだろう。そしてその現実に逆らおうとして、負けてゆくのだ、人は。私は「だから現実には逆らわない方がいい」と思っていたけれど(なかなかこれも難しいことなんだけど)、SEGODONを見て「逆らうことで守るものが守り切れるのならば、それは悔いがない生き方と言えるんだろうな」と思った。どう生きるか、どう死ぬか。私たちはどう生まれるかを選べない代わりに、この「どう生きるか、どう死ぬか」を選べるのだと思う。

 そう考えると、随分と自由な時代になったんだなと思う。

知人者智、自知者明。勝人者有力、自勝者強。知足者富、強行者有志。不失其所者久。死而不亡者壽 ─老子

人を知る者は智、自ら知る者は明(めい)なり。人に勝つ者は力有り、自ら勝つ者は強し。足るを知る者は富み、強(つと)めて行なう者は志有り。その所を失わざる者は久し。死して而(しか)も亡びざる者は寿(いのちなが)し。

老子 第三十三章 足るを知る者は富み、強めて行なう者は志有り | ちょんまげ英語日誌


 足るを知るの語源と言われている。宮沢賢治の雨にも負けずと同じように、本人たちの意志とは反した意味で広がっているように思う。それが時代というものかなとも思うけれど、やはり私は言葉が好きだ。書かれたとき書いた人は何を思っていたのかを想像して理解したい。

 孔子福沢諭吉は改めて読もうかなと思う。先が長い。それに、漢詩はまったく得意じゃなかったけど、中国語勉強したいなあ(台湾の人と話したいから)。