生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~世界に狂った色彩を~

理解について、走り書き

 メリークリスマス! 生まれ変わって8歳ぐらいの私です。たぶん年齢のカウントアップは今日で終わり、気づいたら41歳の私になってるでしょう。

 誕生日の半年後、12月23日にいろいろあり、いろいろ変わっている最中です。その過程の一部で、のちのち深めたいと思ってることを走り書きします。

 今日は「理解」について。私は理解することは得意だと思っていました。上手に説明すればだれでも理解はできるもんだと思っていました。これは事実でもあるでしょう。分かりやすく噛み砕いて伝えることができるというのは才能です。けどね、もっと個人的な「理解」って違うところだったんだなあって思います。

 理解は「理」を「解する」と書いて「理解」です。この理ってなんだろう、この世の「理」? ならば、この世のルールってなんだろう。国によっても常識は違うわけだし、時代によっても変わるものだから、理解って変動するもの? そんな風に掘り下げつつ考えていたことがあります。だからマズローの欲求とかね、いちいち専門書まで読んでいたわけです。知りたいから。

 誕生日の半年後の出来事は、おいおい書くとして、この日に起こった「自分に対する理解(個人的な理解)」の経験を経て、理解ってこういうことだったんだー! と感じました。そこから、日を追うごとにさらに深まってきました。

 これはあくまで私の考えですが、たぶんね、人の中には「理」があるんです。それぞれに「理」を持ってるんだと思うんです。それを「解すること」が理解なのだと思います。

 私の中で瑞々しく残っている「理解の体験」は、おそらく中学校レベルの数学です。数学超不得意。加減乗除ならばなんとかやれるけど、たくさんの加減乗除が関わってくると、順番を間違えそうで混乱してパンクしてました。今でもそうだけどね、これは。でも、数学が得意でとても親切な子が、ひとつひとつを丁寧に教えてくれたことがあります。ひとつひとつをバラバラにしてね、ひとつひとつの答えを出して、さらにそれをまた計算してゆくんですね。

 当時の私は「できる人はきっと問題を見たら一発で答えが出るに違いない」と思う単純さんだったので、賢い子でもこうやるんだ、と驚いた記憶があります。手品じゃなかったんだ、みたいなね。それ以降、根気があれば数学は解けるようになりました(逆に、根気を発揮できないときは残念だが)。

 数学の問題って必要なことしか書いてないもんですよね。特に問題になってる数式なんて、使わないものは書いてないわけ。なんかこの√2使いそびれたんだけど、だったら正解にたどり着けないわけです。当たり前だけどさ。全部の数字や記号を収まりよく使って答えを導くさまが、とても美しいと思った記憶もあります。

 と、ここまでは数学難民が経験した「美しい数学」の話しね。で、ここからが「自分に対する理解(個人的な理解)」の話し。

 理解するというのは、本来、こうした美しさがあることなんだろうと思います。そして今回私が経験した「自分に対する理解(個人的な理解)」はまさにこんな感じで、自分の記憶や経験がひとつもかけることなく収まって、初めて通った筋(道理)を、私自身が通過した、ということです。

cimacox.hatenablog.com

 六花亭の素敵な投稿の後ろ側に、マズローの欲求を書いています。有名なのは5段階欲求なんだけど、7段階なんだよっていうのも書いてます。よく見る5+2の2はこれ。

5 認知の欲求(知ること、理解すること、探求すること)
6 審美的欲求(調和、秩序、美の追求)

 この6 審美的欲求って、早い話が「傾いてる絵を真っ直ぐにしたい欲求」です。なんでじゃない。人は正したいなと思う、ということ。いやいや、私はそんなもん気にならないし、と思う日もあるし、そう思う人もいると思う。けれど、この欲求は「壁にかかった絵」だけを指しているのではなくて、きっと「自分の中のまっすぐに通らないものを、通したいという欲求」なんだと思うんですよ。

 でね、私がここ数年ずっと抱えてきたモヤモヤとかイライラって、これだったんだろうなあって思ったんです。自分の中でまっすぐに通ってないから、自分の中の審美的欲求が満たされていないから、モヤモヤイライラする。

現在だろうと過去だろうと、真理に向かえば使わない√2が出てきて、無理くり理屈をつけて到達したと思っても、やっぱり余った√2がある以上は「違うなあ」って思って欲求が満たされない、ということだったんだなって。

 だから、「自分に対する理解(個人的な理解)」が通ったとき、くだらないムカつきや、理不尽に怒られた経験や、きっと他人には取るに足らないことだろうけど、私はとても感動したということ、全部がひとつに繋がって「あー、すごい、今の私ってすごい」って思いました。そして「ただただ感謝ってこういうことだったのか。くらくらするほど今なら分かる」と思いました。

 私の語彙力の低さが憎い。

 よくスピリチュアル界隈で「感謝」を聞きます。だからか、やたらとお礼ばかり言う人もいます。今までの私は「それ、新しいおまじないか呪文? お礼ってのは本当に思った時に伝えるべきだろう」って思ってました。実際「言っとけばいい」みたいな人もいます。けれど、本当にそう思っている人もいるだろうと想像できます。今の自分がそうだから。もういちいち全てに「ありがとう、いま私がいるのは世界のおかげです」って言いたい気分。今年のクリスマスプレゼントはこれ、そして過去の(これ、だいぶん胡散臭いよね。でも本当、真実)。

 という話を塩鯖にしたら、塩鯖いいこと言いました。

「それも大事なことだけど、自分の欲を叶えることも忘れないでね。生まれてきた理由ってそれだからね」

 こいつは宇宙からぽこんと生み出てきたんだろうか? と時々思います。そんなことはないんだけどね。この人はとても素直だから、その時々にちゃんと自分の喜怒哀楽を経験してきただけだと思うわ。たったそれだけのことが、この平和な世界ではけっこう難しいんだよなあって思います。

 戦争を経験した人の多くが、平和がいいと言います。平和しか経験していなくても、戦争っていけないって思います。実際に、戦争ってないに越したことがないものだと私も思う。けれど、平和だからこそ、難しくなったこともあるんだなって思います。物事の表裏、その規模は自分の想像力でいくらでも広げられる。

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 今日は塩鯖の検査の日。朝昼を抜いて血液検査に挑みます。糖質制限は今日のためだったんだよ~。でもこれで中性脂肪が変わってなかったら、塩鯖は糖質制限やめるでしょう(私は体重減ったから続けてもいいけど)。月一で血液検査をしてもらえると、いろんな実験ができて楽しいね。

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 今日サンタさんだった妹と話をした。末っ子はダウンロードでプレゼントだったので泣いたそうだ(ゲーム)。次男は、サンタさんに証拠のサインを残せというメッセージ付きだったそうだ。現代のサンタさんは忙しいんだな。