生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

それでもやはり、血反吐もの

 おはようございます。メインのパソコン、ずっと地味に調子が悪かったのですが、ついに昨日ラビリンス(修復と再起動のループ)から戻ってこられなくなりました。帰宅した塩鯖にも手伝ってもらったけれどやはり直らず、クリーンインストールからやり直しということに相成りました。

 コルタナさんに「はじめまして」って言われるととても切ないです。初めてじゃないよ、コルタナさん。何度かお世話になってるよもうすでにこのパソコンで!!

 とりあえずコツコツとソフトをインストールしています。オフィスとセキュリティとHIDEMARUが入ったので、あとはフォトショぐらいあれば通常営業できるかな。占星術ソフトはデータがぶっ飛んだんだけど、まぁまぁ、もう仕方ないかなあ。鑑定するときまたお伺いすればよし。

 今回のクリーンインストールで一番泣いたのは音楽データ。といっても私の音楽ライブラリはここ3年ほど増えも減りもしていないので、救済できれば復帰だったんだけど、去年の9月にとったクローンが死んでたので、昨夜は若干寝るに寝れない感じでした。でも、パソコンの中に前のパソコン(2年前)のハードがひっそり住んでたので、そこから救済して万事OK。さすがに52Gの音楽データはどこにも置き場所がないんだよなあ。

 これを機にiTunesとはおさらばしてMusicBeeに変更。動作確認を兼ねてマキシマムザホルモンを聞いております。軽くていいね、でも最近音楽ライブラリから音楽聞いてなかったのよね。

 実は昨日の昼間、動物愛護ボランティアの活動記録をオンラインでだれでも見れるようにしたいなあと思って、とりあえずボランティアアカウントのGoogleDrive(今は名前が違うらしいよ)にExcelを突っ込んだんですよね。それまではデスクトップにポコッと置きっぱなしにしてたので、昨日の出来心がなかったら200件ほどのデータは消えていたわけだ。セーフ! マジセーフ!! ほっとしたけれど、あれをだれもが見える形にっていうのは実現していないのですけど(サイトもまともなのを作りたいから、そこに会員ページでも置いて見れるようにしようかなあ。Excelもいいけど使いこなせない人は見づらいだけだし)。

 私は基本的にGoogleアカウントを使用しているし、大事なデータほどGoogleDriveに突っ込んでいたので致命的なほどの痛みはなかった。けれど、けれどだ、肝が冷えたりメンタルが葬式になったりするわけで、やっぱり血反吐ぐらいの気持ちにはなる。そもそもがデスクトップを物置にする自分の性格の雑さが元凶なのだが(そして何を置いていたのか、今の時点では思い出せない。多分それほど大事なものはないはずだが)、あー、もー、NAS買おうかなあ、とか思う。

 一番データ量をとるのがスマホで撮影した写真たちだ。GoogleDriveの中でもかなりの場所をとっている。5Gとかぶっちゃけすぐだ。いらないデータを消せばいいのだろうが、今やメモではなくてスクショでメモとる時代なのだ。なんかいい方法ないかなーと思いながら、今これを書いている。毎月お金を払えばいいのだろうけど、それが嫌なのだ。旧時代の頭と言われてもいい、毎月毎月なんて一番いやーん。

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 昨日、録画しておいたナウシカを見た。今やナウシカのコミック版もあり、DVDを買ってしまえばいつでも見られるものを、あえてロードショーで見たのだ。最初に見たのがテレビだったから、同じ環境で見るのがなんだかうれしいのだ。

 まったく色あせない名作だった。巨神兵LOVEの私はやっぱり元祖がいい。そしてクシャナさんかわいい。ナウシカは絶対的ヒロインだろうが、あれがヒロインだと勝ち目がない、なさすぎる。

 宮崎駿監督はナウシカのアニメを作るために、原作となったコミックを描いたと聞いたことがある。当時原作のないアニメなんて許可できぬ、みたいな理由だったと思う。そしてあの原作を書き上げて、アニメにしたわけだ。

 でもアニメと原作はまるで違う。そりゃそうだ、映画にするには時間に限界があるのだから。だから完全に作り直したのだろう。世界観や時代は変えず、登場人物を削り、エピソードも大半を削り、けれど大切なメソッドだけは残した、それがアニメ「風の谷のナウシカ」だ。

 今私は、自分がこの世界に対して何ができるのだろうかと考える時間が長い。かなり暇つぶしみたいに思われるかもしれないが(実現されなければ暇つぶしにもならん代物だし)、私は実現しようと思っている。そんなだから、この作品を見た時も「宮崎駿はなにをなし得ようとしたのだろうか」と考えた。

 自分の中のナウシカワールドをアニメにしようとしていたら、こんな形にはならなかっただろう。愛と平和とか、戦争と歴史とか、いろいろある人生哲学を訴えるためにアニメーションを選択し、ファンタジーの世界でその哲学を描き続けようとしたんだろうなと思う。

 彼の哲学の正確なところは分からない。けれど、時間の経過とともに変わってゆくことへの悲しみと、同時に訪れる大きな許しや解放を私はテーマとして感じる。自然のそれに比べて人間は浅知恵で戦争をする生き物だということ、その悲しみも。ハウルでは囚われの鎖を自らが解くことで無限の可能性を得る、人間ってすごいのかもしんないな、ってことを感じた。人間はなんにでもなれるんだろうな、ってこと。ナウシカもある意味では人を超えたしね。

 人一人が、全世界の苦悩を救う物語を宮崎駿監督は書かない。スーパーマンが表れて万事OK全部奴に任しとけ、にはならないわけだ。物語上そのほうが断然楽だろう。けれど、その面倒なことを、過去の物語を作る人たちはやってきたんだよね、すごいね。祈りや願いがなければそんなことできないだろうね。

 そういうことなのか、そういうことなのだ。そうなのだなあ、と勝手に納得して、もう寒いからパソコンの前から離脱します。あー、疲れた。心が疲れた。