生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

柑橘の香りは癒しの香り

 こんにちは、そろそろこんばんは。いよかんを10個ほど剥きました。あれは皮が固いから、剥くのが面倒だから、酸っぱいからという話を聞く。確かに温州ミカンよりは酸が強いかもしれない。しかし、糖度は高いおみかんなのである。なので、剥いてプレゼントしようという作戦。プレゼントした皆さんが喜んでくれて嬉しい。

 いよかんを剥くのは楽しい。文旦や八朔ほど本気にならなくても、刃物を使わなくても、剥くことができる。塩鯖に食わせるというわけでなければ、私は内側の皮ごと食べる。でも、塩鯖に食わせるならば、一応剥いておく。

 私はこのマジックピーラーで剥きます。実家に転がってた(両親は使わないそうだ。いよかんくらいならバリバリ手で剥く)のでもらってきた。危険な刃物部分が出ていないので非常に便利。ついでに爪が短いころはこいつが私の爪代わりだった。爪を伸ばし始めてさらに爪の代わりが必要になるっていう矛盾もあるが(爪が薄くて弱いので、伸びるほどに大事にせねばならないから、爪を使うことはできない)、便利なひとつである。いよかん以外の使い道は、ミルミル(3個パック)の開封です。

 この作業が、無心になれる。いよかんマーマレードにハマった時もだったが、柑橘の香りはリラックス効果があるんだろう。黙々と目の前の柑橘と向き合うだけなのだが、イライラが落ち着く。そう、今日は最高にイライラしていたのだ。

 イライラの原因は分かっている、ツイッターだ。個人的にツイッターは猫や犬の漫画を時々見る程度の関わり。ボランティアの活動の一環でアカウントを作ったので関わるようになったが、やっぱり性に合わないところだなあと思う。

 そもそも、ツイッターという場所ってなんだろうか、と考える。災害時には命が助かる要因にもなったSNSだが、同時にフェイクも多数出現した。玉石混交とも言えるのだろうが、その割に玉が少ないと感じる。これもまあ、何をもって玉とするかなんだけど。匿名性の高さは個人の身を守るのに必要だと思うけれど、情報の信ぴょう性には個人が明らかである方がよい。はてなダイアリーの匿名掲示板が国会で読み上げられたこともあるが、あれは「ある一つの意見」であって、国民の総意ではないと思っている。「ある一つの意見」が社会を変えることもあるし、変えないこともある。社会を変える意見が正義かどうかも、個人が考えればいいことだと思う。

 こう考えられるようになったのは、お役所で働いていたころの経験が生きているなと思う。真夏の冷房についての市民の意見は「こんなに冷やして電気代を使っていいのか」もあれば「冷房が全く効いていなくて役所に来ると体を壊す」もある。どっちが正しいかでもなければ、どっちが間違っているというものでもないのだ。市民の声は、市民の声以上でも以下でもない(今思えば、安心や安全や変わらない平穏は当たり前だと思っていたけれど、役所で働くと毎月激動、毎日何かがある状態だったので、平穏を保つということは「ほったらかし」ではいけない、そこには税金という名の資金投資も必要だし、維持運営する人員も必要なんだなと思ったものだ)。

 匿名性にも良いところがあり、悪いところがある。実名にも良いところがあり、悪いところがある。この2つの違いのひとつは発言責任の所在だと思う。匿名であれば発言責任の所在は極端な話「アカウントを保持している間だけ」だが、実名であれば発言責任の所在は明らかだ。このことから、その発言への重さを考えると、実名の方が明らかに覚悟がある。うちの場合「社会や人々の意識を変える覚悟」といってもいい。

 ボランティアカウントで投稿する内容は、主にリーダーが書いた投稿。リーダーの記事の趣旨のほとんどは啓発活動(私は彼女の啓発意識に賛同している、むしろ師匠である部分もある)、そして活動報告なので、リアルタイムではないことの方が多い。というわけで、ツイッターにしろFacebookにしろブログにしろ、すべては「動物愛護の啓発活動」を目的とすることにした。内容的にはずっと変わらないので、変わったのは私の意識だけなんだけど。

 基本的にボランティアに関する私個人の意見はここでしか書いていないのだけど、ツイッターではこの匿名と実名の違いについての考えも書きたいなと思った。けれどきっと書くことはないだろう。書いたところで伝わると思えないのだ、今の私には。その理由は、私自身が、匿名アカウントでうちの投稿を悪意のある引用や暗喩で叩いている人に、労力を割いてまで理解してもらいたいと思っていないからだ。

 ツイッターには拡散しまくって数を増やせば何かが変わると信じている人も少なくないのだろうと思う。実際にそういう例もあるのだろうが、それは匿名でも数が集まったから力を持ったということではなく、時代という流れの浮き沈みの中の一つに過ぎないと私は思っている。そこに賭けて続けるのは自由だが、私は本当に地域を日本を変えたいと思うから、インターネットの世界の外で実働してゆきたい。

 要するに、相いれないものを結合させようとして、ストレスためて、いよかんたくさん剥いたよっていう話だったんだな、って今思った。

 プラネテス、私の大好きな漫画。この4巻にレティクル星から来た男爵が出てくる。地球人はテレパシーが使えないことをからかって遊んだら、本国から追放されて帰れなくなっちゃったという、ちょっと変わった(異星人だから変わってて当然か?)人だ。この話では、この星系はまだ銀河連邦の一員ではないから、他星人や銀河共通文化に対する免疫がない、つまり男爵のような異星人がこの星系で友愛をはぐくむためには、地球のコモンライセンスやモラルを学んで受け入れることが必要なんだとか。だからわざわざ地球を監視しているわけだけど、宇宙連邦としては地球の参加を心待ちにしているんだそうだ。その条件は、地球人が自ら見つけなければならないそうだ。

 こうした異星人同士の交流やそれに関連する話は、ル・グインの闇の左手や所有せざる人々など、SFの世界で描かれていることだと思う、実際にどうなのかは分からない。けれど私は無下に「んなわけねーだろ」とは思わない。そうであるかもしれないねえ、と思う。

プラネテス(4) (モーニングコミックス)

プラネテス(4) (モーニングコミックス)

 こうした物語の中では、あまりにも規模が大きいからなんとも思わないが(いや、最初に読んだときは銀河連邦って上から目線設定だなと思ったけど)、今回悪意のある引用で叩いている人が個人メッセージで伝えてきたことで思い出した。自分は日本全国の権力者と繋がりがあって、秘密裏にうどん県に働きかけながら見守っているのだそうだ。

 ……。

 一人の頭の中にしか存在しない秘密結社ごっこに、いちいちムキになって疲れてしまったんだなと思う。自分の真面目さに疲れた一件でした。ちなみに塩鯖には「ツイッターで大量投稿や拡散をする人ほど、現実世界を見ていない人、現実に生きていない人なんだからさ」と、軽く諫められて終わりでした。ですよねえええええ。