生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

お天気も良く、部屋は燻製臭く

 おはようございます。今日は良いお天気。今はまだ晴れているので窓を開けてお掃除&喚起。ええ、しっかり部屋が燻製臭いです。嫌な臭いじゃないのでいいけどね。

 さて、昨日の今日であまり書くこともないんだよな……。あ、そうだ! ブロン液! もう二週間ぐらい風邪が、具体的には咳が止まらないんだよーと思っていたので、薬局でブロン液を買ってきた。昔ながらのブロン液エース。驚くほどピタッと咳が止まった。といっても、次の飲用タイムぐらいにはこほこほするけれど、げぇっほぉぉぉ、という咳は出なくなった。そして投薬から三日目、ほとんど咳き込まない。もう飲まなくていいぐらい。

 すぐ効く薬、良く効く薬は怖いと思う。けれど、なぜかわからんが効くものはありがたい。体に有害なものなら販売されてないだろうから、用法容量を守れば大丈夫だろう。

 薬と言えば、ワクチン問題。ツイッターでワクチン接種しないママさんに宛てた、幼稚園からのお手紙を見た。非常に心がこもった、気持ちを察することができ、丁寧で失礼がなく、しかし伝えたいことだけはしっかりと入っているよくできたお手紙だった。行間から「ぶっちゃけ言いたくもないが、あなた方の思想や意思を貫くことで、他の園児にも危険が及ぶ可能性があるんだから罹患したら連れてくるなよ」という本心が見て取れた。

 私はこのお手紙はとても正しいと思う。正直、業務連絡に気持ちなんてどうでもいいが、はっきり言ってワクチン接種を拒否する連中は理論を振りかざしているようで非常に感情的だ。だから論理的に伝えたとしても「冷たい」だの「人間味がない」だの「気持ちがこもってない」だの「幼稚園は子供を預かるところだろう(金払ってるんだから預かれ!)」と言う。ならばこちらも感情をこめて伝えたらいいということだ。

 塩鯖は長らく販売に携わっている。クレーム対応なんて慣れっこだろうと思って質問した。

Q.大声でワーワー言うクレーマーが来たらどうするの?
A.他のお客様にご迷惑になるので、って比較的やりやすい(オールドタイプ)

Q.やりにくいお客様はどんなの?
A.小声でぼそぼそ理屈っぽいクレームつける人(ニュータイプ@未覚醒)

 時代は変わっているようだ。もちろん、こういうタイプのクレーマーも対応できるそう。私だったら黙って全部聞いちゃって泥沼コースなのが見えている。

 コミュニケーションスキルに自信がない人は多い。でも、誰もが最初からコミュニケーションの達人ではないし、クレーマー対応が得意なわけではない。何度やっても不得意な人もいるし、いくつかの数をこなしたら要領をつかむ人もいる。こういう対応が上手な人は多少面の皮が厚いか、鋼メンタルか、自信家だと思っていたが、それは私の思い違いだった。コミュニケーションが上手に見える人の多くは、人と自分の線引きがしっかりできる人だ。相手が怒ってるからといって、相手に合わせなければならないわけではない。理解することは同化することではない。感情や発言の裏にある本当の欲求を聞ける人のことを「コミュニケーションスキルが高い」というのだ。

 今までのお仕事で「この人はコミュニケーション能力高いよなあ(雑談が多いタイプではなく、本当に相手の望むものを的確に見抜いて広がる提案ができる人)」と思う人が何人かいた。私は自分のスキルに不安があるので聞いてみた。普段から高いコミュニケーションスキルを発揮してるんですか? って。お返事は塩鯖とも同じだった。

「基本、人に興味ないから一人で過ごすことが多い」

 量の問題ではなく質の問題なのだな、そしてその「質」というのも、自分で向上させている(多くを学び取って糧としている)のだなと思った。私なんてまだまだ人間ができていないので、感情を消費して終わっちゃうことが多いので、とても勉強になる。

 そうそう、塩鯖がパソコンを忘れたというので届けに行っている道中で、ふと気が付いたことがある。私は男女雇用機会均等法なんてくそくらえだと最近書いたが、私自身「女ばっかり家事と育児と仕事なんて忙しすぎる、不公平だ」と思っていた。だから男女が平等になると聞いて「そりゃあいい」と思ったこともある。もちろん、これは日々休む間もなく働いている母を見て思ったことだろう。でも、自分が働く側になって男女平等の風にさらされたとき「平等って不公平だ」と思ったのだ。うん、今考えても「もやしメンタル」だと思う。お前文句しか言ってねえ、とも思う。けれど私はそう思った。だから女性の権利活動関係に対して嫌悪感を持っているのだ。

 私はきっと、頑なに平等は公平だと信じていたかったのだ。でも、世界の法則はそうではない。理不尽で無常で時々奇跡が起こる。自分がコントロールできることも少なければ、誰かに割を食わされているなんてこともごくわずかだ。私は自分が感じた不平等に理由をつけたかった。不平等さを認めたくなかったから。でも最近そんなの無駄だなと思うようになった。そしたらかなり生きるのが楽になった。

 因果は自分の外にあるのではない、自分の中にある。そういうことだ。今は突発の事態もそこそこ楽しんでいる。