(病気あんまり関係ない気がしたからタイトルを直しました。)
昨日ちょっとツイートしたことをまとめます。
今日、平成生まれくんが保険の勧誘に来たんだけど、我が家は夫が難病だから新たな保険に入れないんだよね、という話をしたら「僕の嫁もなんです」だと。「奥さん大変スね」って言うから「大変なのは病気の当人であって、私は全然大変じゃないよ。どう頑張ったって痛みも辛さも分からんし」と。
— ふるのさん (@furuno_san) 2019年7月10日
実際痛みや辛さを代われたらどんなにいいかと思ったこともあったけど、代われたからってなんにもならないなら、別にいいやと思った。その代わりに、クソポジティブになろうと思った。100万人にひとりの症例に当たっちゃったら、それもう宝くじ当たるぐらいのことだよ、運があるよねって。
— ふるのさん (@furuno_san) 2019年7月10日
そう思えるようになったのは2年目ぐらいから。同じ病気でも頑張ってる人もいる、なんて情報は何の励ましにもならなかった。だって彼はその人じゃないもんね。そんなことも分からなかった頃はとても辛かった。今思えば、私は思いやりの欠片も持てないほど自分のことで精一杯だった。
— ふるのさん (@furuno_san) 2019年7月10日
でもそういう時間があったから今に至ったわけで、険悪タイムもなかなか濃くて有意義な時間だった(離婚するかと思ったけど)。
— ふるのさん (@furuno_san) 2019年7月10日
よく赤ちゃんはお母さんが笑顔になると笑ってくれると聞くけど、大人も同じだと思う。あの頃の私は下手なりに笑顔を超がんばっていたと思う(バレていたと思う)。
今はもう、ただ毎日顔を合わすだけでお互いにこにこしあう。ありがたいなと思う。
— ふるのさん (@furuno_san) 2019年7月10日
私の願いは、彼が死ぬとき「こいつと結婚して良かったな」と思ってくれること。だから「面白そう」と思ったことは全部二人でやりたい。
ということを考えた。保険のあんちゃんありがとう(明日も来るらしい)。
これをそのまま塩鯖に伝えたら「今死んでも良かったなって思うよ」と言ってくれたので、ホントにもう生きててよかったわって思うんだけども。
私は塩鯖と家族になるとき、「この人と一緒になって私は苦労しないのだろうか」と考えた。安穏と専業主婦で暮らしたかったわけでもないし、楽させてもらおうと思っていたわけでもないけど、でも多大な苦労が押し寄せてきて、私は受け止めきれずに墜落するんじゃないかとも思った。あるいは、結婚という形が取れなくて、私は家族でもないのに無理やり一緒にいる人扱いされて、めっちゃ肩身が狭い思いをするんじゃないかとか。
でもね、よくよく考えてみれば一人で暮らしたって不安があることには変わりがないし、是が非でも働けない理由があるわけでもない。縁があって一緒にいるのだから、家族であろうとなかろうと、入院したらお見舞いに行くだろう。そして、墜落するも何もそもそも飛んでいない。
結婚するまでの期間はとても短かったけれど、私は塩鯖にとっても感謝していた。私の植物のために汗だくになってくれたり、私のためにハードな仕事(当時は今とポジションが違ったので朝も早くて帰りも遅かった)のなかで遊びに連れて行ってくれたり。それが私好みではないものもあったけど、そんなことはあんまり関係ない。ただ、私を楽しませようとしてくれたことが純粋に嬉しくて感謝していた。一生懸命に取り組むってことがどういうことか、目の前で見せてくれた人。こんな風に生きたいと思えた人。だから一生一緒にいようと思った。
親の意見も関係ない(親が反対したわけではない)。彼の境遇も関係ない。貯金の額も関係ない。まったくのゼロから、私の判断で「結婚する」を選んだ。今この選択に一切の後悔はない。
難病だから自由ではなくなる。難病だから今までと同じようには生きられない。難病だから制限されることは確実に増える。全部、確かにそうだと思う。だから可哀そうだと思う。理不尽が体当たりしてくるようなものだと思う。当たられたほうは受け入れるしかないから、なにもかもが、今までの人生もこれからの人生も、良かったことも悪かったことも、全部全部嫌になっても仕方ない。
そんなとき、家族は何ができるのか考えた。すごくすごく考えたけど、出てきた答えは「一緒にいる」ことだけだった。もちろん、病気を知るためにいろいろ勉強するけど、それは役に立つことがあればいいくらいで、実際にああしろこうしろと言ったことはない。唯一言ったことがあるとすれば「病院には必ず行くこと、薬は決まった量を飲むこと」だけだ。
病気や事故で不条理に「今まで通り」を奪われた人の家族ができること。それは「苦楽を共にする」ことしかないと思う。家族以上に不幸になったって当人の苦しみは癒えない。人は悲しいほど、自分に降りかかったことしか背負えない。本当のところ、分かち合うことすらもできない(悲しみは1/2、喜びは2倍とかいうけども)。
そういう経験を通して残ったことは、家族だからできることは、常日頃から思いやりを忘れないことだと思った。「今まで通り」ではなくなったからといって、未来が全部失われることはない。たとえ本人が未来への希望を失っていたとしても、代わりに誰かが希望を捨てずにいれば、その希望は手のなかに戻ってくる。その役割を担うのが家族なんだろうなと思う。
私一人だったら、私が希望という名の風船を手放した時点で飛び去ってしまう。だけど塩鯖がいるから、私が絶望してその手を離したとしても、塩鯖が代わりに持っててくれる。そういうことだ。塩鯖のことだから、私の風船を気球に取り換えてにこにこしてそうだけどね。「これは金の斧ごっこですか?」って聞かなきゃね。
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ちなみに、保険のお兄ちゃんは今日も来ました。二人に増えていました。明日も来るんだって。契約しないって言ってるのにねえ。
そしてこのブログ、塩鯖も読んでいます。隣で読まれるときの微妙さといったらもう。