生きることは物語を作ること、をテーマに日々哲学するブログ

生きるとは自分の物語を創ること

日々のじだんだ ~見習いみかん農家4年目~

保存版だなあ

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 私は平沢進が大好きなのだけど、出不精ゆえにライブに行ったことがない。行かねばならないなあと思った。このインタビューは2018年12月のものだけど出た時に読んだら私意味が分からなかったかも。そしてこれは私が保存版としてメモっておくべきもの。

足枷のようなものが、テクノロジーの進化やインターネットの普及によって、ひとつずつ取り外されていく

 私はテクノロジーの進化やインターネットのすごさって全然わかってなかったなと思う。知り合うことのない人と知り合える、その程度の価値ならこんなに広まらない。情報が取り放題。情報操作はいつの時代も常に行われている。そうじゃない、そんなもんじゃない。そこに気づけた人が今を楽しんでいるんだと思う。

 ただしこれには責任が生じる。自分がやらねばならず、自分が追わねばならない。一部の個人事業主界隈では経理業務などを委託している人もいるが、委託は責任の分業ではない。作業の責任は問えても、結局はその委託業者を選んだ自分が責任を負わねばならない。すべて自分の選択であるということだ。

 でもこの責任を、自由だと思えない人はきっと大きくはなれない。

文字列に適当に文字を加え、走らせてみるとどうなるかを一つひとつチェックしていったんです。「この行はなにを意味するのか?」「この記号を削ったらなにが起きるのか?」と。

 これはCGIを書き換えた時のやり方。とてもじゃないけど普通の人はやらない、できない。完成品を前に、見よう見まねでフランス料理(=私にとって何がどうなってこの形になったのか想像も難しいもの)のフルコース作るようなもんだよ。平沢進先生にとってCGIを理解することは目的ではなかった、オンライン決済サービスがない時代に、それを実現することが目的だった。そこがまたすごすぎる。逆に言うと、音楽をオンラインで販売することにそれぐらいの情熱を持っていたということ。

しばらくすると、助けてくれる人がたくさん現れたのですが

 これね、人の助けを当てにしてないから現れたんだと思う。「仕組みがないのが悪い! こんなに時間がかかってるのは俺のせいじゃないんだ!」って言ってたら誰も助けなかったと思う。

ものすごい才能の持ち主や、然るべき努力を積み重ねてきた人たちが作った楽曲と、「できちゃったからアップしてみた」みたいな人の楽曲が、同じ土俵に上がっているのは問題といえば問題なんですけどね。そこはきっと、今後整理がついていくんじゃないでしょうか。

 男前だなあ!! ここにブーブー言うアーティストは少なくない。時代に委ねてるなんてかっこいい。

彼女たち(タイの第二の女性)と私は、立場がよく似ているんです。マイノリティではあるが、非常に強い意志や独特の世界観を持っていて、自分の境遇をマイナスとは考えていない。むしろポジティブに転換していく努力を、まあ「せざるを得ない」人たちですね。

 私はマツコやミッツも好きだし、大好きな小説であるキッチンの雄一のママも大好きだけど、なぜ大好きなのかわかった気がする。こうなりたいと思ったんだと思う。その割に、マイノリティの苦悩を「マジョリティのやつになんて分かんねえよ」と拗ねていたと思う。だから愚痴っぽくなってたんだなあ。私の世界観をもっとしっかりさせないとな。迷いに時間使いすぎだよ私。

好きなことをやって「その人でしかないようなあり方」をしていない限り、その人自身も周りの人も幸せにならない。

 痺れます……。「好きなことだけやってて生きていけるわけない」と、いまだにどこかで思ってる。でも、一心不乱に好きなことをやって、それをちゃんと表に出して、評価されて、さらに磨き上げて行けば、きっと生きていける。そういう人たちをすでに幾人も見ている。

 82年生まれ、キム・ジヨンを読んだとき、祖母の時代は生まれた家で運命が決められていて、それに逆らうことを全くしなかった人たちなんだなって思った(もちろん、不平不満は口にするし態度にも出すけど、自分の運命を受け入れてるからその枠から出ようとしない、疑問を持たない。少なくとも私の祖母はそうだった)。

 でももうそんな時代が終わろうとしている。不平不満を口にしながら「仕方ない」と生きることより、どうなるか分からないけれどよりアホになれたほうが楽しい時代に。

可能性に目を向けるよう教えられながら、実は不可能性の選択に安全、安心が保証されているような社会に住んでいるからです。つまり「言われた通りにやれ、考えるな」です。

 私も子供の頃はそういう世界に反発していた。それで「好きに生きられないなんて子供は損だ」と思っていた。大人になれば自由になれるんだって。でも大人になってもそれほど自由ではなかった。それは私が自分に自由を許さなかったから。

 この枠を壊すのは至難の業。だけど子供たちはみんなその枠を簡単に破る(そして怒られる)、私も昔はやってたはずなのに、怒られたくなくて(怒らせたくなくて)やらなくなってしまった。そのうち続々とこんな枠の存在なんて知らない子供たちが増えてきて、私は老害となって「最近の若いもんは」と言い出すのか、それとも子供たちと一緒に遊べるのか。

 遊びたい。遊び方を忘れてしまっているけれど、遊びたい。大人の実力をもって、子供に帰ろう。